去年の夏に実家の愛媛から父母が出て来たときに、
司馬遼太郎好きの父のもてなしに、
東大阪の司馬遼太郎記念館に行きました。
それで、なんとなく司馬遼太郎を読み直したくなって、
何冊かアマゾンで買ったのですが、
(司馬遼太郎は全部、父の蔵書で読んだので、
手元になかった)
そのうちの一冊がこれ。
- 司馬 遼太郎
- 街道をゆく (14)
なんとなく読まずにいたのですが、
ふと手にとって読んでみると、面白い。
まぁ、土地の紹介モノなんですが、
随所に、「伊予風」とか、
「○○という言い回しに、伊予風のおかしみがある」
なんて表現が出てくる。
出てくるんですが、その「○○という言い回し」の
どこに「おかしみ」があるのかが、
さっぱり分からない。
分からないということは、ボクが「伊予者」であるという
ことなのでしょう。
「排他性がない」という記述にも驚いた。
地元にいるときは、愛媛の人間は排他的という風に
言われていたから。
そういえば、漱石の「坊ちゃん」にしたって、
松山のことはケチョンケチョンですし、
愛媛出身の大江健三郎が愛媛嫌いというのも
(愛媛では)定説でしたし、
愛媛のことを、割りに好意的に描いてあるものを
読むのは初めてかもしれません。
無意識に、愛媛に生まれたことを否定的に
捕らえていたことにも気がついたんですが、
生まれてしまったものは仕方ないので、
ちょっと、まじめに考えてみようかなぁ、
なんてことを思いました。
愛媛の県民性とかを研究してみようとは、
ちっとも思わないんですが、
自分の思考回路を点検するのに
正岡子規とかちゃんと読んでみようかな、と。
ところで、「愛媛(えひめ)」というのは、
古事記に出てくる「愛比売(えひめ)」さん、
に由来している、というのは
知識としては知っていたけど、
これが「いい女」という意味で、
『「いい女」などという行政区の名称は世界中さがしても
ないのではないか』という記述には
そういやそうだと、笑ってしまった。