友人にホロスコープを見てもらった。
※画像は流用
彼女はこう言った。
よよこの
今の、このふさがれた状況について
こうなるに至った理由が「わからない」
なぜこうなったかが「明かされない」のは
ものごとには
「わからずじまい、明かされずじまいということもある」と
教える星回りが
あなたのホロスコープ上にあらわれているからだ
と。
要は、
そもそも
よよこには
コミュニケーションまわりにおいて
かなりがっちょりと力強い星がついており、
対人関係にはいつも
確信と喜び、
かろやかさがセットになってひっついている
らしい。
※だけど
いろいろとトラブルを背負い込む「角度」も持ってると。微妙。
じぶんが「そうしよう」と決めて行動したこと、
「やらない」と考えてしなかったこと、
ともに確信に満ちていて
さらには結果が、わかりやすいかたちでついてくる
因果関係が明瞭で、
すくなくともじぶんの守備範囲においては
「こうしたからこうなる」
「またはしなかったからこうなる」
が
ダイレクトに結びついている
そうな。
…。
「これは、イイコトなんじゃないのかなあ」
と、彼女は言った。
そりゃそうだ。
私もいいことだと思うし、
あーそうなの、星に出ているの、って
うれしいし
心当たりはあるしで。
そう言われたことを、素直によろこべる。
ナイス見立て、ナイス表現と思う。
しかし。
今現在よよこにひっついている、
ある「星」が
教えようとしているテーマ
ここをクリアしなさいと示すテーマがあって
それによって
「いったいなぜこうなったのか」
「何が起こっているのか」
が
ほとんど見えなくなっている、
と。
そういう状況らしい。
…
えーと?
つまり?
「何でもかんでも目に見える範囲
じぶんの周囲数メートル圏内で把握できる世界がすべて」
じゃなく
「そのウラには決して認知できない世界が控えている」
とか
そういう話?
ですか?
「いつも見えているでしょ。
すべてが、ある程度はクリアでしょう、
そういう星(角度)を、生まれつきもっているんだからね。
でも
見えないこともあるんだよ」。
と
彼女は言った。
そして
こうも言った。
そういうことのよさもあるのだと。
あなたがいま会いたい、と思っているひとが
なぜあなたに会いたい、と思わないかを
知らないでいられるのは
「いいこと」。
…。
「
明瞭につながっているひとには
かなりツライかもしれない
でもね、
そこはね、
きっといい部分なんだよ」。
目からウロコが落ちるよう
だった…
たしかに私は確信していた
じぶんの思いも、
かれの思いも、
求めあって
くるしんで
おこしてしまったかずかずの行動も、
すれちがいも、
相手にかける言葉さえ
まるで
じぶんの手を離れるかのように暴走して
操縦不能に陥った、
そうなってからすら、確信していたから。
私が認知する
私の世界において、
私に知りえないことは何もない、
私には知る権利があるんだ
と。
でも
そうじゃない。
そうではないし、
もしかしたらそこには
誰かの、
私が大切に思う人の
私に対する悲しい思いやりが働いているのかもしれないのだ。
考えたこともなかった。
胸が痛んだ。
私はなぜ、
いつも
こんなに確信に満ちてるんだろう
過剰な期待と感情を
抑えることができないんだろう。
期待するとおりに状況が動かないことについて
落胆し、
状況と一緒に立ち止まって
首を折り曲げ、うなだれていた。
でも
こうなったことには
ちゃんと理由がある。
そして
私はその理由を知っている。
それでじゅうぶんだ。
これ以上じぶんを傷つける必要はない、
お互いに傷つけあう必要はない。
誰かのそういう気持ちが働いているのを
星があらわして
友人がことばに置き換えて
私へと伝えてくれた。
かれも私も、
おなじ星のした、
たがいにおなじ星の上で
時が満ちるのを待っている。
もう二度と、見詰め合うことがなくても
この愛が何を教えてくれたのか、
理解できる時間がくると信じよう。
そのことについて
いつか心から、
ありがとうと言える日がくると信じよう。

