令和6年4月14日
16時10分
四十四番札所 菅生山
大覚院 大寶寺到着
道の駅からり内子からここに来るまで
道を間違えてしまい、到着が
予定より遅くなってしまいました
仕方なく、歩く予定のところを
上の駐車場まで車で来たので
山門をくぐらずに参拝となりました
山門は後で行くことにします
納経の時間が迫っていて仕方ない💦
44番札所ということで、
八十八ヶ所のちょうど真ん中で
中札所といわれています
またの名をへそ寺
久万高原に位置する大寶寺は
杉や檜の老樹の中に佇み、
大寶寺=大宝寺
難しい漢字です
大宝寺には二つの鐘楼があり
こちらは1つめ
本堂を挟んでこちらが二つ目の鐘楼
平和の鐘と書かれています
第二次世界大戦で亡くなった地元の英雄を
供養するために作られたそうです
本堂
百済から渡来した僧侶が
十一面観音像を山中に祀ったのが始まり
それを隼人という狩人が
飛鳥時代に発見して庵に祀った際
文武天皇の勅命で『大寶寺』と名付けられた
822年に弘法大師が訪れ
密教を修法して四国霊場に定めた
1156年、後白河天皇が脳の
病気平癒を祈願したところ病が治ったという
後白河天皇は多額の浄財を寄進、
併せて妹宮が住職としてこられた
後白河天皇は多額の浄財を寄進、
併せて妹宮が住職としてこられた
その際、菅生山の勅額を下賜した
妹宮の死後は廟墓と五輪塔を建立して、
陵権現として祀られていて今も陵、
勅使橋の遺跡があるそう
ご本尊は絶対秘仏の
十一面観世御菩薩様
本堂と大師堂の間にある
厄除け観音様
十一面観世音様です
大師堂
横の階段から上がっていきます
横に長くて大きい大師堂です
総檜造りだそう
興教大師堂がありました
興教大師・覚鑁上人
(かくばんしょうにん)は
1114年、高野山に登り、
荒廃していた高野山を復興し
教学の振興を果たした方
真言宗 中興の祖といわれています
興教大師以降の真言宗を新義真言宗といい
長谷寺を中心とした豊山派と
智積院を中心とした智山派に分かれるそうです
大寶寺は豊山派です
堀出観音堂
昭和9年に石田そよさんという方が
突然「我、菅生山の金の性じゃ
掘り出せ掘り出せ」というようになり
寺方がそよさんのいうところを掘ると
金銅製の七体の観音像が出てきたそう
この観音像が安置されています
掘り出された観音像は、
樹齢千年余りと思われる樹の根元で
法華経が一字一石に書かれた
約130枚の石に覆われていた
後に、もう1体掘り出され、八体となったそう
観音像は平安時代後期〜鎌倉時代
観音像は平安時代後期〜鎌倉時代
初期のものらしいとのこと
身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる
身体から病気や悪霊を掘り起こしてくれる
有り難い仏様といわれ、信仰されています
納経所
仁王門
帰りに山門へ行ってみました
扁額アップ
草履が大きくてすごい
100年に1度作り替えるそうです
仁王像
室町時代の物だそう
朝まいりはわたくし一人の 銀杏ちりしく
種田山頭火の句碑
勅使橋
ここは歩きたかったですね・・・反省
他に、芭蕉33回忌の法要を営んだ際に
建立された「芭蕉塚」があったそうですが
おん まか きゃろにきゃ そわか
次は今日のお宿
いやしの宿 八丁坂さんへ
車で10分