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re healing

神と智がいかに交わるかをテーマに、いろんなことを書き綴っていこうと考えております。

表の世界での職業柄、私は事実・真実というものに少なからず愛着がある。スピリチュアルな世界に生きていると、思考の力、信じること・観念の力を思い出し始めた人との間で、齟齬が生じやすい部分だ。

真に統一された観点において、そこに矛盾はない。全ては自分で作り出していて、同時に個々の「自我」の思いとは無関係に定まっている事実もある。今年の秋の変革などは個人の意思に関わらず、このパラレルワールドでは集合的同意となっている事実だ。

私はどちらかというと多次元的事実・真実を語ることが多いだろう。なぜ思考したことが観念が現実になるのか、どうしてそのような体験可能な舞台が与えられているのか。全ては観念というが、なぜ観念が現実になるのだろう? そもそもなぜ観念などというものが生まれたのだろう?

空や無の経験を経た人にとっては、最も原初の真実に比すれば、その後に派生した全ては無に等しいと感じられることだろう。それでもなお、原初の存在がいかにして、これほどけったいな相対世界体験、その中でもまた極めて特異な地球体験を始めるに至ったかを知ることは意味がある。このミッシングリンクを見つめない限り、一抹の違和感が残り続けるだろう。

私はつなぐものである。双極を統合し、真の三位一体を地上に顕すものである。
外に発信するチャネルの一つを閉鎖したので、こちらの更新が今後微増するかもしれません。

注意深く、核心に近づきながらも避けていたのだが、創造という営みを自覚的に行うフェーズであることをしばしば感ずる。

Communion with Godとりあえず読み直すかな。
相対立する観点が、三位一体に於いて統合される様は、あえて例えるなら、円錐を横から見たら三角で、上から見たら円だということに似ている。本当は円でも三角でもなくて、円錐が実体。円や三角は一つ低い次元に投影された影に過ぎない

全有、空について認識を回復した後、こう言った対立について、どちらでもいいよ、という人と、円錐について語る人がいるけれど、どちらかと言えば私は後者になる。

三角派と円派が対立している時、「いろんな観点があるんです。違いを尊重しましょう」と言っても当事者達は納得しない。お互いに自分の(影の認識の)正しさを知っているから。それに誇りを持っているから。円錐という全体像が見えて初めて、三角でもあり、かつ円でもあったのだ、ということがより高次の観点から認識される。自らが正しいと同時に相手もまた正しかったのだと了解される。

これがトリニティの基本と言える。