おそらく、逃げ惑うと思います。部分的には耳を傾けても、神の声に真に心を開き、内容の如何に関わらず、耳を傾ける準備のできている人は未だ多くはありません。多くの人は光を真実を恐れています。そしてその救済の光に、自らの信ずる闇・罪を投影します。
いかなるものであれ、許しえないものがあるのなら、それは神を許していないのです。そして罪の認識(許さないということ)とは神に対する攻撃に他なりません。神を攻撃しながら、神との合一、涅槃、空の体験は不可能です。なぜなら、罪を信じるものにとって救済は究極の闇だからです。
なぜ罪は実在しないのか。それは幻想だからです。それゆえに許しとはその対象の非実在性の認識を伴います。その先に原初の真実の残滓を見れば、もはや裁かれるべきものは存在し得ません。
世界の全てが許された時、そこに実相が顕われるでしょう。