グレーは繊細な凶器である。 | メリーゴーランド

グレーは繊細な凶器である。

今日は仕事が終わってから結婚式の2次会のフライヤーを作成する。

9月に以前バイトでお世話になっていた人の結婚式に参加することになった。

参加するだけならノンキだったのだが、2次会の幹事になってしまったのだった。
おかげさまで、休日返上で打合せ。

今週末も新宿で色々と話合わなくてはならない。

そして、議事録等色々と面倒なことが多い。

でも、バイトで本当にお世話になった人だからできるだけ、いい2次会にできればと思う。

フライヤーはある程度アイディアが出てきた段階。

なんとなくではあるが、参加する人たちが捨てずに飾っておけるものになればと思う。



結婚式の話はこれぐらいにしといて、今日をメリーゴーランドしてみる。

今日も特にこれといってあげられるものはないのだが、仕事中にふと思ったことを書く。

なんの話題のときに出たのか覚えていないのだが、誰かが『グレーゾーン』という言葉を口にした。

グレーゾーンって、つまりどっちつかずであったり、際どい状態にあるときのことを示すのだが、
このグレーという色の認識は日本と海外では違うようだ。

日本で代表的なグレーといえば、千利休のリキュウネズミである。
リキュウネズミとは、千利休が日本の侘び寂びを表現する為に、ねずみ色に青を混ぜたり、赤を混ぜたりすることで微妙な違いを表現する為に使った方法である。

海外では、あるドイツの写真家がグレーは無に限りなく近いものだと言っていた。
確か、人間の視覚という機能はとても曖昧なもの。
それはグレーに近い。

というようなことを言っていた気がする。


グレーという色自体が曖昧であるという認識は日本と海外で変わらないが、日本におけるねずみ色はとても多様であるのとは対照的に、海外では限りなくゼロに近いものだと考えられているようだ。

日本の文化の中にはこのような、曖昧なモノの中にある多様性、奥行きという概念がある。

最近、私が目指している職業でも、今活躍している若い人たちはこの概念を基礎とした作品を多く作っている。

でも私はその動きにとても恐怖を感じる。

曖昧なモノは多様ではあるが、とても繊細で脆い。

そして、それは破壊する行為になってしまう可能性がある。


曖昧になればなるほど、その職業の必要性は薄れていくのではないか。

また、空間というもの自体そもそも曖昧ものなのに、それをさらに曖昧にしたところでどうなると思っているのだろう。

そんなことしたら行き着く先は無の境地なのではないのだろうか。
そんな哲学的な話に興味はないし、私にはその行為が良く理解できない。


こんなことを仕事中にふと考えていた一日だった。