本当のアリスはどちらなのか。 | メリーゴーランド

本当のアリスはどちらなのか。

今日はブログでなにを書こうかと考えながら、外に出て一服。

星を見ながら、今日一日のできごとをメリーゴーランドしてみる。

今日は結構なんでもない日だったなぁと振り返る。
昔、不思議の国のアリスをビデオで見たときのことをふと思い出す。

確か、なんでもない日も特別なのだから祝おう。というシーンがあった。

なんでもない日ってなんだろうか。

自分で今日はなんでもない日だったと書きながら、疑問に思う。

そんな中、日常という言葉が、開園前の静けさの中で観覧車がゆっくりと動き始めるようにじわじわと上昇する。

嵐のような毎日を生きている人にとっては、他人から見たら異常であってもその人にとってはなんでもないのだろう。

なぜ?


日常だから。

なんにもせずに毎日寝てばかりいる人も、寝ていることはなんでもないことなんだろう。

なぜ?

もちろん、日常だから。


日常的な世界ってたぶん本人だけしか感じることのできないものなんだろうな。

感動的だったり、日本的だったりなんでもいいのだが、そこらの○○的とちょっと違う感覚。


そこらの○○的は、少数であったとしても共感できる人が少なからずいる。

でも、日常的って本当に不思議な感覚。

先ほどのアリスのなんでもない日を祝う人にとってはとても日常的だけれど、アリスにとっては非日常的な体験になる。

しかし物語を進めていくうちにいつのまにかアリスもその世界の住人であるかのような振舞いを見せ始める。


不思議の国のアリスという物語を作った作家が意図しているか分からないが、あの物語は抽象としての日常的と具象としての日常的が往来することで、これら日常的が持つ反転性のようなものを描いているのではないかと私は感じた。

その瞬間、今日は私にとってなんでもない日ではなくなっていた。