7月の体温並みの気温の日曜日 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 昨日はすぐに寝付けたようで眼が覚めたのは午前6時半頃だった。

 同じ著者の本が面白そうだったので新刊を買ったらつまらなかった本をメルカリに出品したらすぐに売れたので部屋を掃除してから発送しに出かけると体温並みの気温なのでムワッとする。帰宅するとすごく涼しく感じたものだ。ネット通販で本を買うと、こういう当たり外れがある。

  e-honで注文した「比翼の象徴 明仁・美智子伝」上巻は時間指定したので、それ相応の時間に届いた。副題を「平成の天皇・皇后伝」にすればいいのに本文でも昭和天皇は「裕仁天皇」、香淳皇后は「良子皇后」、貞明皇后は「節子皇太后」だ。明治天皇を「睦仁」と表記した伊藤之雄の「明治天皇」を読んだ時に感じた落ち着きの悪さを感じてしまう。牛島秀彦の「ノンフィクション・皇太子明仁」は種本に記されていないので?書かれていないような反天皇制的な出来事の落ち穂拾いが見え隠れするのは誰も書かなかったのか、それとも先帝の伝記など書く人が限られるから?先帝の学友のリストにヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチの回想録の抄訳の共訳者で岩倉靖子の甥に当たる岩倉具忠がいるが八條隆允は「赤色華族事件」で逮捕された叔父の八条隆孟がいる。浅見雅男の「公爵家の娘」を読んでいると名前を覚えてしまった。「苗字を見れば誰が旧公家、武家かわかる」と本文にはあるが堂上華族なら身内にシンパ程度の小物にしても「アカ」がいても問題にならなかったわけか?さて問題は「陳守実(旧姓頴川・田川)」という人物の名前。先帝の学友に台湾人がいるのは知っているが「明治-昭和前期、学習院の中国人留学生について」という論文によると「陳(頴川)守実」と名簿には記されているそうだ。「田川」は茶貿易で財を成した父親が使っていた日本名に由来するようだが「頴川」姓は時期的に改姓名運動と関係あるのだろうから「旧姓」というのは何かの間違い?朝鮮での創氏改名なら色々と読んでいくうちに、ある程度分かってきたが台湾での改姓名運動になると存在以上は書かれているものがない。謝雪紅が転向してから日本名を名乗って日本人相手に商売して蓄財したとか「身内にアナーキストがいたので改姓名が許可されなかった」とかいう本を見かけたりぐらい。「学習院幼稚園に在園している「華族のお坊ちゃんたち」」のリストにある「軍令部総長・伏見宮博恭王の孫、華頂宮博孝」は臣籍降下した華頂博信侯爵の子息で昭和18年に戦死した叔父の伏見博英伯爵家を継ぐ為に短期間養子に入っていた事がある「華頂博孝」の間違い。

 「ノンフィクション・皇太子明仁」や「天皇への道」にも言える事だが王公族の存在は希薄か無に近い。跡継ぎのいない東伏見宮家や山階宮家、梨本宮家、閑院宮家は絶家になる運命にあったが十一宮家は邦家親王を一世と見做して大正9年に「皇族の降下に関する施行準則」が施行されてからは第二王子以下は臣籍降下して華族に列せられていた。戦後、王公族を皇族にする案があったようだが仮に十一宮家が全て「五世以下」として「臣籍に下る」時点で植民地朝鮮の支配が続いていても韓国併合条約の手前上、王公族は残っていただろう。王公家軌範には範囲はあるが養子の規定がある。