代金500円で送料520円 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 昨日もしんどいので早々に寝た。すぐに寝付けたようだ。いじめと仕事の現場が合体したような変な夢を見て目が覚めたので寝起きが悪い。今日もしんどさは変わりない。

 神戸のキリスト教の古本屋に注文したキリスト新聞社版新約聖書口語訳が届いた。代金が500円で送料が520円なのでレターパックプラスに入って配達された。先方に問い合わせたとおりに初刷だった。昭和27年初刷の本なので紙焼けして経年劣化はしているが状態はいい。栞紐があったが取れてしまった。見開きを見ると「御身にすかりて 昭和廿八年二月三日 渡瀬主一郎」と署名入りだ。余程入手が困難な珍本か希少本でもない限り線引きや書き込みはない本が欲しいが署名は別だ。「評伝武藤富男」にあるように扉には手持の重刷分と違って渡瀬主一郎と武藤富男の名前がなく「あとがき」が序文になっている。扉の裏の頁に「扉題字 徳野大空氏筆・附録圖 馬場射地氏筆」とあるのは重刷分にはないが「評伝武藤富男」に書かれていない。何で?徳野大空はWikiにあって昭和18年に日満支三国展で最高総理大臣賞を受賞した書家ならば、その頃に武藤と面識があるのだろうか?馬場射地は検索しても挿絵画家という事しかヒットしない。こういう事を検索したのは「秘苑の花」の装丁者を調べた時以来だ。重刷分なら何年も前から持っている本だが改めて見ているとヨハネ伝21章8節に「僅か百米ばかり」という個所がある。日本聖書協会が刊行していた英和対照新約聖書で口語訳聖書では大正改訳と同じ「五十間ほど」でRSV第1版は"about a hundred yards off"で注に"Greek two hundred cubits"。新共同訳や聖書協会共同訳では「二百ペキスばかり」でフランシスコ会訳の注釈には「約九十メートル。一ペキスは約四十五センチメートル」。新世界訳聖書の改訂版のように「わずか90メートルほど」にすればいいのにRSV第一版はヤードに換算しているのを武藤富男がメートルと誤読して村岡花子も気がつかなかった結果?でないとこんな訳文にはならないはずだ。フィリピ書3章20節に「しかし、私たちは市民権を天に有っている」はなるほど。田川建三が一言も注釈を付けなかった「国籍」などというパウロが生きていた時代の地球上に存在しない概念を持ち込まずに「市民権」と訳したのは英訳の"citizenship"を字義直訳の新世界訳聖書だけじゃないんだ。キリスト新聞社版は明治元訳みたいに普通使わないような漢字の読みにルビを振っているのが気になる。

 薬が少なくなってきたので診療所の受付時間に合わせて早めに出かけた。診察時間と薬の処方を待っている時間が過ぎると結構な時間になったので吉野家に行って遅い昼食を食べたのは午後3時頃になっていた。御茶ノ水の丸善で角川ソフィア文庫の「新訂枕草子」を買ったがファーストサマーウイカのおかげで?光文社古典新訳文庫でも現代語訳が同時に出ていた。古文の本が同時に別々の出版社から出るものだ。いのちのことば社の直営店の古書市を見に行って1冊買って帰った。一昨年?のように倉庫の奥から引っ張り出してきたような新改訳聖書はなかった。岩波版の分冊や直営店では新本では置いていない田川建三訳の分冊が並んでいたが。