昨夜も午前1時過ぎに寝て、すぐに寝つけたようだ。寝起きが遅いので朝食が遅くなってしまった。
昼飯は地下鉄の構内にあるおにぎり屋で食べた。そういう店があるのは前から知っているが、利用するのは初めてだ。プラスチックのタッパーの中に色々な具が入ったおにぎりが1個入っている。大きめなコンビニのおにぎりみたいだ。それを4つ選んで食べた。
メンタルを出てから、丸ノ内の丸善に行った。PayPayのクーポンがあるので、別の本を買うつもりだったが、竹田恒泰の「天皇の国史」の文庫本があったので冷やかしてみた。たまたまソ連参戦のところだったが、お祖母さんと伯父さん伯母さん達が新京から「内地」に逃亡した事を一言も触れていない。おやっと思って買って帰った。
祖父の恒徳王の「私の肖像画」には「そこで慌てて家族を呼び戻した。あまり急だったので、妻たちはまったく着の身着のままで、終戦の五日前に帰って来た。満州にいた二年の間に、いつかは東京の家が焼けると思ったので、少しずつ家財を新京に持って行っていたが、それらはすべて置き去りになってしまった」とある。関東軍の参謀がソ連の参戦を予想出来なかったという事になるが、それは竹田宮だけでもあるまい。何しろソ連を仲介して和平交渉をしようとしていたのだから。「内地にいては空襲があるから」と朝鮮(特に三十八度線以北)や満洲に疎開して、結果的にトンデモない目にあった人など他にもいるから、竹田宮が第一総軍参謀として「内地」に転属となった時に光子妃をはじめとする家族を新京に残したのは、そんなところだろう。問題はソ連とモンゴル人民共和国が開戦したから、と軍用機を使って家族を「呼び戻した」事。他の軍人家庭のように列車を使って新京から朝鮮経由で「内地」に行くならまだしもだが。あの顕示欲の強い竹田恒泰が自著で幾度となく竹田宮家を登場させるのに、こんな調べたら分かるような事に一切触れないのは敵前逃亡みたいでみっともないからだろう。もし竹田宮家の人々が新京かどこかで赤軍に捕まっていたら、昭和22年生まれの竹田恒和は生まれないだろうから、「竹田宮恒泰王殿下様」は御降誕されなかった可能性があるし。それにしても「満州国建国は正統である」というならば、書くべきだが。広島の原爆での李鍝公の薨去は出て来ないが、他の本で書いているから当然、知っている。上巻を見ていたら、長々しい新版日鮮同祖論を書いているが、「『論語』や『千字文』などと共に儒学と漢字文化が伝わった」とあるのに王仁の名前は出さない。これは古事記の応神天皇朝の王仁の記述を元にしているんじゃないか?それに任那日本府も出て来ない。変なの。
ケストナーの「終戦日記1945」の重刷があったから、これも買って帰った。岩波書店のホームページの謹告欄には、この本の初刷にはグデーリアンの行動から「そのひとつを朗読した」が落ちているとか解説の杉本良吉・岡田嘉子のソ連行の年度が1年遅くなっているとか一切触れていない。高橋健二が訳した「ケストナーの終戦日記」を読めばグデーリアンの振る舞いは分かるのに。抜けがあったら回収なんでしょう?今、見たら年度の関係で昭和14年の八島夫妻の渡米を杉本・岡田の次に動かしている。