張赫宙と民族意識 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 「架橋としての文学」には従来同様、「日本国籍となっても消す事ができない“朝鮮人性”や“民族性”が張赫宙にとっては問題ではなかったか」に続いて、張赫宙が朝鮮戦争に際して「嗚呼朝鮮」と「無窮花」を書いた事には触れている。他の章で張赫宙が出て来る個所を読めば分かるように、これ以上は突っ込んで解釈などしていない。この本に収録されている講談社文芸文庫の「光の中に・金史良作品集」(平成11年)での解説を「文藝首都」についてなどを増補した第7章には元々、2年前に故人となった張赫宙を「(一九〇五~)」(「光の中に・金史良作品集」300頁)と書いていた。「架橋としての文学」では185頁に当たるが、張赫宙の生没年は何故か書かれていない。「光の中に・金史良作品集」の解説を書いた時点では川村湊は張赫宙が故人だと知らなかったのは言うまでもないが、講談社には戦後すぐから昭和50年代まで張赫宙を担当していた編集者がいたが、既に退職していて彼とは縁が切れてしまったので、彼の生死が確認出来なかったのだろうか。

 厳密に言えば「無窮花」は帰化してからの昭和29年の作品だが、「嗚呼朝鮮」が刊行された時点では、まだ帰化手続き途中。川村湊自身が編纂に関わった集英社の「戦争×文学」の朝鮮戦争の巻に収録されている張赫宙の「眼」は昭和28年の作品で、彼が帰化してからの韓国での取材体験を元にしている。何か昭和20年代の張赫宙論を読んでいると、彼が帰化する直前の昭和27年の「嗚呼朝鮮」で区切ってしまうので、帰化してからの「無窮花」は無視する傾向が見受けられる。張赫宙ではなく、野口赫宙名で刊行したからか?張赫宙が故国での戦争を題材にした一連の作品を書いた、という意味が彼の国籍で左右されるみたいだ。

 こうなると昭和24年から書き始めて、昭和25年に単行本化した「李王家悲史・秘苑の花」が張赫宙の「“朝鮮人性”や“民族性”」によって書かれた作品だと考えた方が分かりやすいのだが、何故か「秘苑の花」は「無窮花」以上に少なくとも日本語で書く(日本人であれ韓国人であれ)研究者が論じるのを避けているらしい。韓国の研究者で論じた人がいるらしいけれど。日本の皇室に組み込まれた王族、英王李垠と皇族出身の方子女王が主人公とした作品は題名以上は触れたくはないのか?特に反天皇制イデオロギー論者の場合は。「嗚呼朝鮮」から人民軍の蛮行(南侵は言うに及ばず)の描写は避けて、国民防衛軍事件のような個所をより抜いて、無理矢理に韓国批判の作品だと「解釈」した人がいたから、そんな気がする。張赫宙の「“朝鮮人性”や“民族性”」を否定してしまうと、彼を昭和17年に朝鮮貴族の嗣子である李鍾賛少佐の出征祝いの講演に呼んで「秘苑の花」を書く際に協力した趙重九元男爵は張赫宙と同じ昭和27年に日本へ帰化して、「キューバの日本人技師」という著書がある人なので、「王家の終焉」は「“朝鮮人性”や“民族性”」を喪失した「親日派」朝鮮貴族なので「信用出来ない」となってしまう。

 観念論とは別として、「王家の終焉」には、王公族で朝鮮貴族になった人などいないし、朝鮮貴族と結婚した王公族女性すらいないのに(李辰琬と結婚した尹源善は、尹致昊とは父親が従兄弟でも朝鮮貴族ではない)、実在しない「義王の王子の朝鮮貴族」が出て来るから本田節子に向かって語ったように「当時のことを、ありのまま、正直に書いてあります」などとは思えない。