登場しない王公族 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 「旧宮家の『男系男子』の皇籍取得」云々というnoteを読んでいて、朝鮮王公族が日本人に皇族として扱われていた例が紹介されていた。英親王、李鍵公、李鍝公は帝国陸軍に在籍して、日本で生活して、皇族方と同じように行動していたのもあるだろう。

 「梨本宮伊都子妃の日記」、「李方子」といった本に掲載されている系図には興王と妃李氏、永宣君と妃金氏、李辰琬の5人は出てこないし、「流れのままに」と「歳月よ王朝よ」の系図にも出て来ない。「英親王李垠伝」の系図に永宣君に続いて「子ナシ」と誤った記述すらある。永宣君は韓国併合前に日本で亡命生活を送っていた事はあるから正確な表現ではないが、朝鮮で生活をしていたので、日本人には馴染みがないので朝鮮公族には違いないのに、無視されたか、あるいは忘れられていたのかもしれない。復刻版が出た「皇室皇族聖鑑」には記述はあるが、5人の写真はない。

 「大正天皇実録」と「昭和天皇実録」にあるように、大正大礼には永宣君が参列したのに、「伏見宮」の親本に掲載された表紙でも使われている写真のキャプションでは実際には参列していない多嘉王となっている。「近代皇族妃のファッション」175頁では同じ写真に当時の雑誌から多嘉王だとキャプションをつけているが、175~176頁に岩倉家に伝わる写真の紹介では「朝鮮李王家御代表李埈公殿下」とある。何故、実際に参列した李埈公ではなく、参列してない多嘉王と入れ違ってしまったのかは知らない。少なくとも誤った記述でも検閲を通ったのは確かだ。

 勿論、朝鮮で生活していたというなら高宗、純献皇貴妃厳氏、純宗、純貞孝皇后尹氏、義親王、義親王妃金氏も当てはまるから確実ではないとは言えるが、大韓帝国の皇帝と皇后、皇太子の生母、皇子と高宗の兄とその係累との差というのはあるだろう。

 金英達の「王公族-日帝下の李王家一族」には李辰琬の夫の尹源善について、「尹致昭の第六男ということしか分かっていません」とある位だ。おそらく当時の出版物を参照しての記述だろう。さすがに「朝鮮王公族」では尹源善が尹譜善の弟だと紹介されているが、兄弟の父親の従兄弟が尹致昊とまでは紹介されていない。

 林鍾國の「親日派」のような本で尹致昊の近親者を取り上げた際、「末弟尹昇善は関東軍司令部大尉であった」(532頁)なる正体不明の人物が出て来るのに、朝鮮総督府に勤務した「親日官僚」である尹源善が出てこないのは何故でしょうね。林鍾國は自分の手で「親日派」をカードで分類していたというのに、この家門は有名な一族のはずなのに記載ミスや記載漏れがあったという事になってしまうが。