土曜日 | 無駄話。

無駄話。

鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 昨夜は午前0時過ぎに寝て、起きたのが11時近くだった。
 今日から申し込める遊佐未森がゲスト出演するコンサートのチケットを注文した。
 昨夕、代引きで注文した「恨の彼方に」とAmazonに注文した本が一緒に届いた。
 「恨の彼方に」が共産主義に対する憎しみが強いのは著者の夫が人民軍占領下で政治保衛部に連行されて、拉北されたからだった。関屋衣子は鴻嬉寮の「教養担当の寮母」とあるから、通いだろう。「関屋貞三郎日記」は大正15年分から昭和21年分は残っているから、昭和15年の事情は書かれているだろう。勿論、「前韓国学務局長」は「朝鮮総督府学務局長」だ。著者が淑明女学校時代の写真が掲載されているが、セーラー服だった。「秘苑の花」で修学旅行の時に淑明女学校の生徒達が李王邸東京邸を訪問した際に「それは一見して日本の女学生と少しも変らず、同じ型の制服に同じ型の髪型をしている」となっているが、「歳月よ王朝よ」や「朝鮮を愛し、朝鮮に愛された日本人」では韓服姿となっているから、「秘苑の花」の方が現実に近いとは思っていた。
 「戦争と植民地の時代を生きて」で「解放後、間もない頃」に英親王と方子女王が京都の寺を訪問した時に著者があったかのように書かれている。「解放後、間もない頃」だから、昭和20年の秋頃と思えるが、「王家の終焉」では昭和21年4月から5月の間に京都から「柳宗默という愉快な僧侶」が「戦争と植民地の時代を生きて」の著者を含めた学生達を連れて李王邸東京邸を訪問した事になっている。「王家の終焉」には趙重九の日記や記録が使われているから、「在日朝鮮人史研究46」にあるように「王家の終焉」の方が正しいだろう。朝鮮総聯の副議長まで勤めた人が60年以上経ってから書いているとはいえ、朝鮮語がおぼつかないはずの方子女王が「正確な標準の朝鮮語で話しているのは意外な感じがしました」と書くのは何故だろう?「王家の終焉」の方が正しいとなると、この「愉快な僧侶」の発言となっているものも「秋霜烈日」どころか、実際は違うのかもしれない。趙重九が英親王について辛辣に書いて(それなら、在日系の新聞に英親王の一代記を書くように依頼されたのを拒絶させた趙重九本人が張赫宙の「秘苑の花」を書く際に協力したのか?)、本田節子の前でも「王家の終焉」の内容について方子女王に念を押しているのだから、もし「秋霜烈日」な発言をしていたら、「愉快な僧侶」とは書かないはずだ。高木東六の「春香伝」について、「禁じられた歌」のような朝鮮総聯と袂を分かった人の書いた本とは書かれている感想が違うのは個人的な感覚の違いもあるのだろうが、粛清された永田絃次郎を持ち上げる為に好意的に書いているかもしれない。初演から文字通りに世紀をまたいで、日韓W杯の際に長生きをした高木東六が手直しをして再演されているのだから、朝連が資金を出したのに、評判が悪かったのだろう事は分かる。この本、著者の立場が前面に出過ぎているから、取扱注意というところだ。