「中世王権の成立」から。 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 小谷野敦氏のブログで紹介されていた「中世王権の成立」という本がAmazonにあったので注文して読んでみました。
 この本の49頁に紹介されている天武系から天智系に皇統が移った時の天皇の諡号が光仁天皇なので、陽成天皇が退位された後に践祚された天皇の諡号が光孝天皇と諡されたから、「光」という字を諡号に贈られた天皇が皇統が移った天皇だ、というわけです。
 何故か「天皇制批判の常識」には閑院宮家から践祚された光格天皇は出て来ますが、光仁天皇は出て来ませんが。
 しかし、光厳天皇と北朝の光明、崇光、後光厳及び称光天皇は後水尾院の皇子の後光明天皇と同じく追号です。ついでながら明治以降も崩御後の天皇に贈られるのは追号です。
 南朝への対抗意識で光厳天皇と北朝の天皇に「光」の字が追号に贈られたならば、崇光天皇が崩御されたのは応永5(1398)年、つまり南北朝合一後です。ついでながら院の甥にあたられる後円融天皇が崩御されたのが南北朝合一の翌年の明徳4(1393)年です。旧南朝の後亀山院への対抗意識、という事でしょうか?称光天皇で後光厳天皇の皇統が絶えて、崇光天皇の皇曾孫であられる後花園天皇が後小松天皇の猶子として践祚されましたが、「称徳・光仁の上1字ずつをとったもの(「歴代天皇年号事典」283頁)」であって、「後継の後花園の代わりに前代に光をつけた例(「天皇制批判の常識」69~70頁)」ではありません。