「天皇制批判の常識」。 | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 久し振りに本の感想も書いてみます。
 「天皇制批判の常識」という本を買って、読んでみました。立ち読みしていて「皇統が変わる時は、諡号に「光」をつける決まりがあるらしく」(69頁)という箇所を眼にして、「天皇制批判」といえば書き手の人格を疑いたくなるような下品な駄文ではない代わりに変な事を書いているなあ、と気になりました。別に当方は、この本の著者のような御歴代を暗唱出来る(67頁)「学者」(87頁)ではないですが、「特に始めて知るような事はなかった」(87頁)です。
 「天皇制否定で改憲論」(5頁)というのは、大いに歓迎します。改憲論=再軍備論という発想がこびり付いている(時代がスターリン批判で止まったかのような「赤い十月」を未だに神聖化していたり、御自分の信じる宗教での政教一致の体制を創りかねないような)反天皇制論者が多いせいか、何故それを主張しないのか、不思議な気がしていましたので。
 ただし著者と意見が違う人々に対する批判ばかり目につきますが。
 「まえがき」の「天皇・皇族は日本国民ではない」(4頁・天皇・皇族には戸籍が適用されていないのを勘違いした?)という初歩的な間違いから始まって、「ウンベルト3世」(19頁・ウンベルト2世の間違い)、イスラエルは「総理は公選制」(38頁・シャロン将軍が選ばれた時に総理公選制は廃止されています)、「東ローマが滅ぼされると、総主教座はモスクワに移った」(43頁・イスタンブールに今でも総主教座は存在しています。どうも、この著者は正教会はカトリックのような統一された宗派とお思いらしい)、といった間違いばかりが目につきますが、明治に天皇に列せられた廃帝に仲恭天皇が、大正末に皇統に列せられた長慶天皇をお忘れのようです。
 しかし「光」の追号をつけた天皇=皇統が変わった天皇という奇怪なお説は初めて見ました。後水尾院の皇子の後光明天皇はどうなるのかしら、とも思いますが、光厳天皇と北朝の光明、崇光、後光厳と「続けざまに光をつけている」(69頁)にしても、光厳天皇は父君の後伏見院を治天の君とし、光明、崇光両天皇は光厳院が院政を行われました。天皇親政を基本としていた南朝と違って、北朝は上皇方が南朝に拉致されて幕府に擁立された後光厳天皇は天皇親政を行ったにしても、基本的に従来の院政を政務の基本としていましたので、誤解を招きかねません。