こう書くのもはばかりますが、
最近、ぐぐっと遠視が進んでいるのでございますよ。
コンピューターの画面の見過ぎだよね。。あはは
近視で遠視、かなり最初の頃はややこしかった。
メガネをとっかえ、ひっかえ、ほんと、かけているのやらはずしているのやら、わからなくなる、近視でない人にはわかりにくいだろうけど。
老眼のメガネは視力を助けてくれるワケでもないので、家の中でいて、埃だの、ゴミだの、髪の毛だの、、、小さいモノが床に落ちていても、気がつかない。
この前、床に座ったら、髪の毛と埃が絡まって鎮座していた。
なんでこれが気づかないのか、、今までなら、近視用のメガネを掛けていたので、わからないハズがないのだよ。掃除機じゃなくても、指でさっと摘めるくらいの、見た目にもいやらしい髪の毛と埃の塊に気がつかないって、わたしもすごくなったな、と、思った。
何が、すごいか。
見て見ぬ振りは、なかなかできない。けど、見えなくて、その存在を知らなかったら、そのまま放置できるんだよ。床は奇麗だ、って、思っておけるんだよ。
幸せじゃないですか。見えないお陰で、埃が溜まっていないと思っていられるんだし、楽ができるのだよ。わたしにも、快く放置することが出来るんだって思った次第(いやぁ、いままででも、あったと思うけど)。
これは、ほんとに、些細な日常のことだけど、こういうコトが世の中にいっぱいあって、他人に迷惑かけない限り、知らなくても幸せに過ごせるんだよ。
知らなかったほうが幸せだ、とか、言葉ではよく聞く。けど、ほんとうにそうだって思ったことがない(かもしれい)。
何から何まで、キチンとしたり、知らないことは知って、解決したり納得するもよし、けど、知って放って置けないなら、それでストレス溜まったり、問題が起きたり、面倒なら、知らない方が楽だし幸せだよね。
と、言う考え方もあるもんだな。
見えない事の幸せ。
世の中、見えている事は、ほんのちょっと、知っていることもほんのちょっと、どうあがいても、見え切れないし、知り切れない。ここに座っていても、このmacの画面の後ろは見えないんだから。
こんな埃の塊から、これを実感するとはね。
知るのが遅いよ、これもまた幸せだったってことか、、あはは。
幸せモノって言われると、バカにされてるみたいだけど、
なんだかんだ、言っても、あたしって、やっぱり、幸せモノなんだ。
物事を知らないコトに感謝だね、あはは。
(物事知らないほうが良い、と言っているのではありません、それもまた人生ってこと)
補足:物事を知っていて損はない。いろいろな事を知っているのと知らないのでは判断の仕方も違うし、知識だけでは判断出来ないこともあるにしても、良い判断が出来ることも多いだろうと思う。世の中全体を見れば、知っている者と知らない者の差はでてくるかもしれない、判断、決断に要する時間なども含めて。けど、結局は自分の知っている範囲、知ろうとした事から、自分が判断するのだから、他人と比べようがないし、その人にとって、それが最善の判断になるのだから、、ね。
ゲームが一段落すると、ここにも登場できるようだね。
ゲーム、、、どうにか、、すべきだよ。
