恐怖シリーズ 第2章 【バス停で待つ女】 後編 | FlyingVのブログ 『 so far so good 』

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次の日、僕と東京のいとこは、虫捕りに連れて行ってもらえることになった。
僕と2つ違いの東京のいとこは、来年、中学2年生と、おそらく一緒に虫捕りをしてくれる最後の夏になると思い、僕がリクエストしたことだ。
お兄ちゃんとお姉ちゃん達はそれぞれ塾で朝から出ていた。
昼間、妹含めた僕達3人はおばちゃんの農園を手伝い、夕方になって、おじちゃんが運転する軽トラに乗り込んで、近くにあるクヌギとコナラの群生林へと向かった。
薄暗く、樹液の甘酸っぱい香りが立ち込める木々の間を、虫よけスプレーを塗りたくった手に、網を握りしめて進んでいくと、樹液が噴き出した幹がそこかしこにあり、すでにカブトムシやクワガタが何匹も留まっていたのだった。
東京のいとこと僕は、狂喜乱舞しながら網を振り回し、手が届くところにとまっている甲虫は、手づかみで次々と籠の中へと押し込んでいった。
大量だった。僕の住んでいるところでも、カブトムシのオス1匹で500円はする。
沢山捕れたことも嬉しかったが、僕は、憧れのミヤマクワガタの立派なオスを捕まえたことに何よりも興奮した。

おばちゃんちに戻り、胸を張って成果を報告すると、
「そんなに捕れたか。」とまん丸な顔を一層丸くし、分厚い瞼に埋もれそうな目を細めて、スイカを切ってくれた。
この日もピーターコーンを齧り、夕ご飯としてさらに豪勢に振る舞われたご馳走で満腹になった僕らは、大きなお風呂に皆で入り、ゲームをしたりして、寝床に付いたのだった。
昨日のおばちゃんの話は怖かったが、夜、外に出なければいいだけのことだし、星が見られないのは残念だったけど、僕の頭の中では、明日、市民球場で開催される花火大会が楽しみで仕方が無かった。

その夜、肩をゆすられ、誰かが耳元で僕の名前を呼ぶ声に、目を覚ました
「な、なに?」
「おい、起きろよ。」僕を起こしたのは東京のいとこだった。
「あのよ、俺ら、明日、おばあちゃんとこ戻るじゃん。」
「うん、、、そうだけどさ、もう寝ようよ。」とシーツを被ろうとする僕を、
「あのさ、近くにすげえクワガタが集まっている木があるんだよ。去年見つけたんだ。」
そうはさせまいと、シーツを手で押さえる東京のいとこ。
「ふ~ん。もう沢山捕れたじゃん。」無理やりシーツを奪い取り、寝転がる僕に、
「だから、今から行けば、すげぇんだって。ほら起きろ、行くぞ。」
「やだやだ。」と抵抗はしてみたものの、腕力でも強引さでも敵わないいとこに引っ張られ、着替えさせられてしまった。

何時なのか見当もつかなかったが、皆が寝ている時間だってことは分かった。
いとこが持つ懐中電灯の明かりを頼りに、糠床の匂いがかすかに漂う台所を抜け、裏口まで来た時、
「だって、おばちゃん、あの古いバス停、見ちゃダメだって。」
夕食の時の話を思い出し、僕の足はすくんでしまっている。
「大丈夫だよ。オレが見てきてやるからよ。」
そう言って、いとこは、裏口から出て行き、玄関へと向かった足音が再び戻ってくると、
「ほら、なにも居ねえじゃん。来いよ。」
僕は手を引っ張られ、裏口から納屋と離れをぐるっと迂回して、母屋の脇にある生垣の隙間から外に出た。
最初は真っ暗で、いとこの早足に何度もつまずきそうになったが、段々目が慣れてきた僕は、夜空を見上げてみると、零れ落ちそうなぐらいの色とりどりの星が、空一面を埋め尽くしていた。まさに、天然のプラネタリウム、いいや、どんなプラネタリウムでもかなわない。
足が宙に浮き、夜空に吸い込まれていってしまうような感覚に捉われながら道端で立ち尽くす僕を、いとこは、「早く行こうぜ。」と急かし、雑木林の中へと入っていった。

暗いとは言っても、木々の隙間から星空の光が入りこみ、足元の小川にキラキラと映っているので、そこに沿って歩いていけば、懐中電灯である程度注意しているだけで十分だった。
昼間とは違う、深呼吸を始めた森の湿った匂いが立ち込め、足元や頭の上からは、虫の羽音や葉っぱを鳴らすカサカサした音が時々聞こえてきた。たまに、ガサっという大きな物音がして、心臓が止まりそうになったが、いとこがどんどん先に進んでいってしまうので、びっくりしている余裕もなかった。
「もう着くぞ。そうそう、これ掛けとけ。」と言って、いとこは、僕の手足に虫除けスプレーを吹きかけてくれた。
小径が開け、巨木が立ち並ぶ一角に出ると、樹液の酸味を含んだ甘ったるい匂いが、猛烈に漂ってきた。懐中電灯で照らしだされた幹は、そこかしこから、琥珀色をした樹液が滴り落ち、黒い筋を幾本もの根元に垂らしている。
そこに集まる蛾やカナブンに混じり、黒光りする大きく丸いフォルム。カブトムシだ。
赤いのはノコギリクワガタだった。
樹に留まっているなんてレベルじゃなかった。群がっているのだ。
僕といとこは夢中になって、捕まえては、籠の中に放り込んだ。
コクワガタとノコギリクワガタは獲れ過ぎて、サイズの大きいやつ狙いにした。
ミヤマクワガタもヒラタクワガタも、つがいでゲットでき、オオクワガタはさすがに見つけられなかったものの、籠の中が真っ黒になるほどの大収穫に、いとこはまだ名残惜しそうだったが、帰りたがる僕に根負けして引き返すことにした。

森の中は相変わらず真っ暗で、樹の隙間から木漏れでる星の光が、かすかに僕達の帰り道を示していた。今来た道を小川に沿って戻るだけなのに、進めど進めど、森から出るどころか、どんどん奥へと入っていくような感覚がしている。
さっきまでは気にならなかった、不気味な鳴き声や枝を揺する音が、耳に張り付いて離れない。
怖くなった僕は、いとこにしがみついて、目を瞑ってひたすら歩いた。
いとこも多分怖かったんだと思ったけど、僕の前で、みっともないところを見せまいと頑張ったんだと思う。
「おい、出たぞ。」
いとこの、ほっとしたような声がして、顔を上げてみると、目の前に森の出口が開けているのが見えた。
「良かった。」と僕がつぶやくと、
「もう手ぇ離せよ。」いとこはシャツの裾を握る僕の手を振り払った。
足元が、土のやわらかいものから舗装されたアルファルトの固い感覚へと変わり、森を抜けた僕は、見慣れた風景が目の前に広がったのを確認し、ふうと、一息ついた。
少し下れば、おばちゃんの家がある。どうやら、雑木林から森の中を半周して、反対側に出たみたいだった。

気が楽になった僕は、おばちゃんちに向かおうとした時、隣のいとこの様子がおかしいことに気が付いた。
棒立ちになったまま、体を強張らせ、微動だにしない。
「ねえ、どうした、、、の、、、」と、いとこに向かって話しかけた僕も、忽ち、その事情を飲み込んだ。
僕らが出たところは、古いバス停の真横だったのだ。
そして、そのバス停には、居たのだ
庇の大きな帽子を被り、古いソファに腰掛けた女の人が。
凍りついたように動かなくなる体。
恐怖より先に、この場に居てはダメだという信号が体の中を駆け巡り、とにかく視線を合わせまいと立ち去ろうとした。
いとこもそれは同じだったようだ。
僕らは、顔を伏せ、駆け出そうとした、その時だった。

いとこが「あっ。」と言って、虫かごを道路に落としてしまったのだ。
慌てて手で拾い上げたいとこが、顔を上げた瞬間、その女の人が、いとこの真後ろに立っていた。
いとこより頭一つ背が高く、長い髪をたなびかせ、うつむき加減のまま、ゆらゆら揺れているように見える。
『振り向いちゃだめ。』と、僕は声にならない声を振り絞りながら、いとこの後ろを指差した。
だが、いとこは、振り向いてしまった。
庇の大きな帽子の下から白い顔がのぞき、黒い涙が滴り落ちる穴のような目が、いとこを見つめたかと思うと、
「キ、、ミ、、、、」と一拍置いた後、「シッテ、ル、、ノ?」とゆっくりと低く怖ろしい声で、いとこに話しかけたのだ。
僕は、ただひたすら走った。
途中、何度もすっころびそうになりながら、おばちゃんちについた僕は、裏口から入って、布団にもぐりこみ、震えながら眠気が差すのを待った。安心したのと疲れから、呼吸が整うとすぐに僕の瞼は重くなり、やがて、ぐっすりと寝入ってしまったのだった。
いとこが部屋に戻ったかどうかは分からなかったけど、怖くて振り返れなかった僕は、いとこの足音が聞こえていたので、多分、帰ってきたのだろうと思っていたのだ。

だが、次の日、いとこの姿はなかった。
よく、一人気ままに出かけていたので、皆、その内戻って来るだろうと、気にもしていなかった。
だけど、僕はどうしてもそうは思えなかった。
昼になっても東京のいとこの姿はなかった。そして、夕方前に、母の在家に戻るとなった時、いとこが全く姿を見せないことに、ようやく騒ぎになりだした。
僕は、昨日の夜のことを言い出すのが怖かった。叱られるというのもあるけど、あのことを思い出すのが怖かったのだ。
当然、おばちゃんは、僕に尋ねてきた。
おばちゃんの優しそうな顔を見た途端、僕は泣き出してしまったのだ。
泣きじゃくりながら僕は話した。
昨日の夜、いとこに誘われて虫捕りに行ったこと、その帰りに、森の中で迷い、そして、バス停の真横に出たこと、白い女の人が居て、いとこが話しかけられたことを。
おばちゃんは、すぐに円宗寺の住職を呼び、交番からもお巡りさんが応援に駆けつけた。
まだ日が高かったので、女の人が居ないことは分かっていたもの、僕はそのバス停に近寄るのも嫌だったのだが、お巡りさんにしがみついてなんとかそこまで案内した。
近所の人達から、『神隠し』という言葉が、聞こえてきて、僕は、すごく悲しくなって、また泣いてしまった。

そろそろ日が暮れようとした時、円宗寺の住職に付き添われ、森の中から、いとこが出てきたのだ。
住職の話だと、墓地の前で、いとこが座りこんでいて、まるで、誰かの質問に対して、頷いたり、首を横に振っていたのだという。
放心状態で別人のように生気がなくなったいとこは、住職が念のためお祓いをするということで、おばちゃんちの仏間で、2時間ほど読経がなされたのだ。
僕もついでに見てもらったが、なんにもないとのことだった。

いとこは次の日、親戚に連れられ、東京へと帰って行った。
僕は、残った夏休みを、母の在家で過ごした。
おばちゃんや高校生のお兄ちゃん、お姉ちゃん達は、時々来ては、ピーターコーンやスイカを振舞ってくれたり普段どおりに接してくれた。
時々、あの時のことを思い出して、夜怖くなることはあったが、優しいおばあちゃんに盆踊りに連れて行ってもらったりしている内に、次第に希釈化され、夏休みを楽しく過ごすことが出来たのだった。
東京のいとこも段々と元気になっていったそうだ。

やがて、母と僕、そして妹が名古屋に戻り、2学期が始まったある日の夕食時に、おばちゃんから一本の電話が掛かってきた。
いつも世間話が中心で、母が信州弁丸出しで応対していたのだが、しばらく話しこんだ後、母が受話器を渡してきた。なんでも、おばちゃんから伝えたいことがあるとのこと。
「もしもし。」と何気なく出た僕に、おばちゃんは、
「あのな、ほれ、あん時のバス停、壊すことになったよ。もう安心してええぞ。あの怖いのも出んくなったしな。また来年、遊びにおいで。今度は、皆で星見ような。」
といつもの優しい口調で話してくれたのだった。

だが、再び受話器を母に渡した僕は、やがて真実を知ることになる。
次の年の夏、再び僕と妹は母に連れられ、信州を訪れた。
そして、一年ぶりに母の在家で出会った高校生のお兄ちゃんの口から、信じられないことを聞かされたのだ。
「あのね、バス停のほら、丁度下の辺りに、用水路が通ってるでしょ。あそこで、若い男の人が死んじゃってたんよ。発見されたのは朝で、原因も不明。変死ということで、ニュースにはちょっとなったね。でもね、それっきり、あの女の人は出なくなってな。ここら辺の話だと、あの女の人は、ずっと、その男をバス停で待ったんじゃねえかって。」

1年前、東京のいとこが、「キミ、知っているの?」と聞かれたのは、恐らく、この男の人のことだったに違いなく、曖昧な返事しかしなかったいとこは、お墓の前まで連れて行かれて詰問されていたのだろう。
とにかく、亡くなった方は気の毒だったが、解決したということで、僕は一先ず安堵した。

その年の夏も、僕と妹は、おばちゃんの家に、軽トラに揺られて、泊まりに行った。
山道を登り、いくつかの森を抜け、中腹にあるおばちゃんちに着く頃、僕の目に、新しいバス停が映った。深緑がまぶしく、小川から立ち上る瑞々しさを包含した澄んだ空気が、肺の中に流れ込み、体中に染み付いた都会の滓を洗い流していくようだった、
僕が何度も深呼吸をしているうちに、おばちゃんちに到着した。
虫捕りや花火、星空観察といった楽しみに胸を膨らませながら、軽トラを降り、何気なく坂の上を見上げた僕は、我が目を疑った。
新しいバス停の奥に、撤去されたはずの、古いバス停がまだ残されているのだ。
妹も気が付いていた。
だが、不思議と、僕を含めて誰も、それについて何一つ触れようとしなかったのだ。

そして、この年が、僕と妹が、おばちゃんのところに泊まりに行くことが出来た最後の夏となってしまったのだった。

(完)