友を選ばば その1 悩める僚友 | FlyingVのブログ 『 so far so good 』

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『友を選ばば書を読みて、六分(りくぶ)の侠気(きょうき)四分(しぶ)の熱』

とは、才人 与謝野鉄幹が作詩した『人恋ふる歌』の有名な一節。

旧三高(現京都大学)の寮歌としてしたしまれ、私がバンド活動に傾倒するのと比例して、二次曲線的に単位を落としまくり、仕送りを打ち切られた挙句、友人たちが卒業するのを見送る羽目になった、なんの思い入れもない母校、早稲田大学の応援歌にもアレンジされた明治30年の懐メロ。

 解説するまでもなく、友とするのは、まずは勤勉であることと、次に男気溢れ、そして情熱を以て行動できる人物を選びなさいと言う意味だ。


友人関係だけではなく家庭でも、また、ビジネスパートナーなど共通の利害を有するドライな間柄においてもこういう傑物であるのが望ましく、ことが大きくなればなるほど、その成否を握る重要な要素に違いない。


金木犀の香りに包まれた紅く色づいた街路樹の下を、愛犬と散歩がてら、この前、友人から持ちかけられた相談を思案している内に、この歌の一節を思い出してしまったのだ。


その相談事とは、5年前、しばらく行方不明になり、高山の訳あり温泉宿に住み込みで働いていた中学時代の友人と前妻との間にできた息子のこと。


その息子は、現在、15歳と思春期真っ只中。

本人同士にしか分からない事情があって、彼が2歳の時に離婚し、息子は前妻が引き取ったのだが、その時、子供が離婚したことを負い目に感じないようにと、

「お父さんは死んだ。」ことにしていたそうだ。

しかし、彼が10歳になったある日、友人宛に

「お父さん、生きているんだったら、お願いだから会いたい。」との手紙が届き、大いに悩んだ末に友人が出した結論は、返事はしない、つまり、自分が死んでいることを貫き通したのだった。


その後、毎年、息子の誕生日になると、

「お父さん、今日で11歳になりました。この前、野外学習に行ってきました、、、」との父親への感謝と近況が書かれた手紙が届くようになったとのこと。

既に再婚し、別の家庭を持つ友人の事情を、敏感に感じ取ったのか、『会いたい。』との言葉は10歳の時の手紙に一度書かれたきりという子供ながらの気遣いに泣かされてしまうが、15歳になる今年に限って、手紙が届いたのは、誕生日の1ヶ月前のこと。


 友人は不思議に思いつつ便箋を開くと、そこには、

「お父さん、僕の誕生日に会いに行きます。」と並々ならぬ決意が込められた一文があったのだ。

自宅まで来ることと、来訪時間と自分の携帯番号が添えられていたそうだ。

会えなかったら、そのまま帰るとも。


もはや隠し通せる訳もなく、前妻に連絡を取るも

「そんなこと私にはなんにも相談なかったわ。もう、こうなったらあなたに任せる。」との丸投げ状態。

大きくなった息子に会いたいのは山々ながら、何を話していいのか全く見当がつかず、そうこうしている内に、どんどんその日が近づいてきて、思い余って私に相談を持ちかけてきたというのが事の次第だ。


この友人は、かつてトラブルに巻き込まれた私を精神的かつ物理的に救い出してくれた、

『友を選ばば書を読みて、六分の侠気 四分の熱』の人物。


高山に出奔した時、何の力にもなれなかったのと、弱音はめったに吐かない男だからこそ、この相談事にはなんとかサポートしたいと思いつつも、エールを送ることしかできない無力な私に、

「話を聞いてくれただけでも気が楽になった。ま、1、2発は殴られるわな。」とあっけらかんと笑う友人。


当時、この友人が乗っていたランドクルーザーは、当時、2歳だった彼の息子も大好きだったクルマ。

ちょっとした誕生日の演出になればと、離婚したために渡せずじまいだった友人とその息子、そしてランドクルーザー一緒に写っている画像データを、この週末に渡しに行くべくプリントアウトしておいた。


感動の対面になるかどうかは天に任せるとして、ランクルの横に立ち、満面の笑顔でピースする2歳の彼が、15歳となった今、誕生日プレゼント片手に許しを乞うであろう友を前に、恐らく、この時と変わらないくちゃくちゃな笑顔を向け、何度も手紙に書いた

「お父さん。」という言葉を13年越しに口にする姿を思うと、鼻の奥がツンとなり、フォトシートの中のランクルが滲んで見えてくるのだった。