彼女がつけたブラックマーク 【セリカ編】 その9 | FlyingVのブログ 『 so far so good 』

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男女、家族、そして友人達との様々な人間模様を書き記した記事が中心です。
みんカラから移転したものや創作したものを掲載しています。

「はい、どうぞ。」
「お邪魔します。」
セリカのナビシートに腰を下ろすと、キャビンに漂う彼女独特の甘い香りとは裏腹に、女の子らしい小物やアクセサリーはなく、お兄ちゃんの車と言われれば、そうだと思ってしまうぐらい、こざっぱりとしていた。
強いて言えば、ナビシートの下に、ヒールとミュールが2セット置いてあるぐらいだ。
エンジンを掛けると、クラブミュージックが流れ出し、少し経って、エアコンから、すえた甘酸っぱい空気が盛大に噴出してきた。
「やだ、エアコン臭い。」
顔を赤らめ、慌ててエアコンを切って窓を開ける彼女。
臭いどころか、様々な香料の中に、彼女の体臭や汗が入り混じり、鼻腔から視床下部をくすぐる。
本気で恥らう彼女の姿を初めて見た僕は、微かな高揚を覚えた。
「ハンドル、重いのよ、この車。」
小径ハンドルを細い腕で目一杯回して駐車場を出ると、国道への合流だ。
車の流れが切れたところを見計らって、彼女は深めにスロットルを踏んだ。
レブカンターが跳ね上がり、後期型の3S-GEは思ったより控えめなサウンドとともに、セリカを加速させる。
轍や段差をモロに拾って振動をボディに伝える、スーパーストラットの異様な硬さに僕は、思わず、
「これ、女の子の乗る車じゃないよね。」と伝えると、
「そうなの。かっこいいし、お兄ちゃんが、就職祝いにくれるって言うから、もらったんだけど、結構ハードで、、、もう慣れたけどね。で、V君は何乗っているの?」
「プレリュード。もうすぐ納車されるんだ。セリカも候補だったけど、同じ車にするのもなんだし、彼女が気に入ったのもあってプレリュードにした。」
「そうなの?なんだ、言ってくれれば、譲ったのに。でも、それだと彼女さんが嫌がるか。あそこの駅でいいんだよね。」
こうして、彼女との初めてのセリカ同乗体験は、わずか10分足らずで終わった。

だが、この日から、彼女からほぼ毎日のようにメールが届き、一日に何通も来る事もあった。
メールの彼女は、会社で見せる顔とは全く真逆の、ところどころ絵文字を使った普通の女の子が書くような軽い内容ばかりで、たまにハートマークが付いていたりすると、僕はその意味を勝手に想像し、即座に否定しては、また想像するのループにはまり込むのだった。
GWに入り、プレリュードの納車が決まると、僕は真っ先に彼女をドライブに誘った。

婚約者と会うのは、GWの最終日と聞いていたので、連休の中日に、彼女の自宅近くまで迎えに行くことになった。
約束の時間になっても自宅からちっとも出てこない彼女に、『着いたよ。』とメールを打っていると、
「ごめーん、着ていく服が分からなくなっちゃって。」
いつものスーツ姿の彼女とは似ても似つかない、ナチュラルメイクの彼女が、開けっ放しのサイドウインドウから僕を覗き込んでいた。
カールしたての栗色の髪が、初夏の薫風とともに、さらさらとなびき、彼女の香りが入り込んで来る。
思わぬ不意打ちに、スマホを落としそうになった僕は、
「今、メールしようとしてたところ。乗って。」
体を伸ばして、助手席のドアを内側から少し開けると、
レースのフレアスカートから露になった細めで形のいい太もも、小さな膝からすっきりと伸びるふくらはぎ、引締まった足首に結び付けられたヒールサンダルが、僕の目に飛び込んできた。
「やだ、見えちゃう。」
シートのサイドサポートでフレアスカートの端がめくれ上がり、ベージュのストッキングの奥が、かすかに映った。
「大丈夫。」
「本当に?」ドアを閉めながら、疑いの眼を向ける彼女。
「ほんと、ほんと。」
「なんか、会社と雰囲気違うよね。」と話題を変える僕。
「え、そう?オフはこんな感じよ。家の中とか、大体、部屋着ですっぴんだから、多分、外で会っても分からないかも、ふふふ。」
そう目を細める彼女は、会社で見るよりも、ずっと幼く見えた。
その後、水族館へ行き、小洒落た洋食屋で食事をして、彼女を送り届け、普通に楽しく健全に終了した。
彼女が婚約者と会うと言っていた同じ日に、僕は、プレリュードで恋人を迎えに行ったのだった。

連休が明け、仕事が始まると、彼女は上司として厳しく接する一方、定時になると、お茶、カラオケ、プリクラ、買い物と、ことあるごとにセリカで僕を連れ出した。
職場でおばちゃん連中や部長たちがいなくなると、「あー凝った。」と肩もみまでやらされた。
週末、時間が合えば、スイーツが食べたいと言う彼女の為に、僕が車を出したりもした。

ナオちゃんとも時々3人でお茶をしたり、カラオケに行ったりしたが、どことなくぎこちないと言うか無理をしているような感じで、少し、気になったのでメールでそれとなく聞いてみたら、どこか時間を作って二人で話がしたいと返って来た。
同期は僕が年上だと知ると、呼び捨てだったのが「さん付け」に代わり、敬語になるなど、距離を置くようになっていた。ま、こちらとしては、その方が気が楽でありがたいのだが。

ある日、仕事帰りに、セリカの洗車に駆り出された僕は、彼女と一緒に会社近くのコイン洗車場でセリカを洗っていると、968を泡だらけにしている兄ちゃんから、バケツの水を汲みに行ったところで、声を掛けられた。
「もしかして洗車場デート?あんな可愛い彼女、どこで見つけてきたん?」
「あ、え~と、職場です。」敢えて否定しない彼女の部分。
「いいなぁ。」と、彼女の方を向く968オーナー。
「あの、ポルシェ乗ってたら、モテるんですよね。」
随分前のトレンド誌を受け売りした僕は、何気に失礼なことを聞いてしまった。
「そんなことあったら、ここ来て洗車なんかせんわ。君たちは、はよ、ホテル行かんと、ほら。」
「いえ、それは、、まあ、はい。」
適当にごまかしつつ、水が一杯になったバケツを下げ、ホイールを磨く彼女の元に戻ると、
「ねえ、何話してたの?あそこにいる人と。」と、今のやり取りについて聞かれた。
「あの可愛い娘、彼女かって聞かれた。」ホテルのことはとても言い出せない。
「ふ~ん。で、なんて言ったの?」
「違いますって。」僕は正直な嘘つきだ。
「そうって言っても良かったのに。」
と、見せ付けるように僕の左腕に腕を絡ませる彼女。
だが、僕は、忙しい彼氏の代わりになんでも言うことを聞く、便利な部下でもあり、都合のいい男友達なのだ。
手も繋いだこともなければ、気持ちを伝えたことすらない。
きっと、結婚までの期間限定アクセサリーで、ケリーバッグと同等の扱いでしかないだろう。
968の兄ちゃんに、『彼女じゃない。』と言えなかった自分。
彼女と楽しく過ごせば過ごすほど、ひび割れ、ささくれ立つ心。
何かを尽くしたところで、所詮、婚約者の下へと去っていく遠からぬ未来。
戻るなら今だと、僕は胸の中で、これまでのことを恋人に詫びた。

だが、更なる深みは、この先に待ち受けていたのだった。

(続く)