一昨日から続くNZ大地震の報道に非常に胸を痛めています。
クライストチャーチは二度ほど訪れた事あります。
とても綺麗な街で、家族も「もう一度行きたいね。」と
ちょくちょく話題にあがる街でした。

それなのに、去年九月に続いて再びの大地震。
「何でまたクライストチャーチが・・・」

連日、美しい町並みが倒壊している様子を
テレビや新聞で見るたびに
涙が出そうになります。
けれど、万が一知っている人が安全だと確認できるかも・・・
と、思うと見ずにはいられないんです。

思い当たる人にEメールを送信したところ、
どの人も安全が確認されて、
とりあえずホッとしています。

また日本からのレスキューチームが現地到着したとのことで
いち早い救助活動と復興をお祈り申し上げます。









救助犬も三頭出陣のようです!
頑張って!
(日本という島国からだから入国許されたんだろうな)
私は欧米系の国で住んだ期間が長いため
そちらの習慣が深く根付いていると思われます。

日本人はどうしても、曖昧や遠まわしな言葉を使いがちです。
それが、私は出来ないんです。
しかも、私の発言によって、相手を傷つけたり怒らせたりしまっていることが
多々あるような気がするのです。
また相手のモヤのかかった言葉にイライラしたりしています。

確かに日本で生きていく事を決めたのは私自身です。
けれども、なかなか溶け込む事ができず、
今現在、かなり困っています。
時間をかければよいのでしょうが、
もう現在進行形で仕事についていて、
その現場で色々と思い悩んでいます。

例えば、頼みごとをして
「それはちょっと難しいんですけど・・・」という返答をしてきたとき、
その人は
難しいけど、出来るところまでやってみますけど、
うまく出来なかったらそういう理由があるんです。」
と、予防線をはっているのか、
「難しいのでお断りしたいんですけど、
そういうのを面と向かって言うのは気が引けるのでわかってください。」
ということを「・・・」の中に省略して言っているのかが
分からないんです。

私はこれまで周りの人に
「何言っているのかわからない?」
「それはつまりYesなの?Noなの?」と言われて育ち、
やっと、「玉虫色発言」を卒業したところでした。
がしかし、「玉虫色JAPAN」に戻ってきたので、
かなり苦労しています。

欧米人の喋り方は日本人にはトゲトゲしいと言われがちです。
確かに、私は欧州人のように毒のある喋り方をしています。
皮肉を用いたジョークも多いです。
たまに「日本人は相手の気持ちを受け取る能力が高くて、曖昧発言もこなせる。」
と言う人がいます。
確かにそういう点はあるかもしれません。
けれどもそれは多くは「習慣と歴史」によるものではないかと
私は推測します。

例えば、日本人の誰もが知っている「桃太郎」の話は
幼いときから繰り替えし聞いて覚えたものです。
歴史的に長いこと定着しているので
常識と認識しているのです。
これが、他の国では知られていないのは当然です。

同じように、曖昧発言で相手の気持ちを汲み取る、という習慣がないため
ストレートに気持ちを言うというほうが習慣となっているのだと推測します。
この喋り方ですと、誤解を招く発言が少ないというメリットもあります。

先日、郵便局で海外宛ての小包をお願いしました。
担当者の方が、行き先の国をモニターでなかなか見つけられず
「以前に送った事がありますか?」
と訊かれました。
小包自体は母のお使いだったので正直に
「わかりません。」
と、答えました。
そのときのことについて、母が
「そういう時は『送った事あったかもしれません。』と言うのよ。」
と、アドバイスしてきたんです。

はっきり言って、どうしてそういう言い回しをした方がいいのか
わかりません。
そんな曖昧発言で、仕事の作業が楽になるわけでもないのに・・・







そんなわけで、自分は欧米人ではない。
日本人なのに日本人になりきれない。
そんな自分が何なのかという点で、
かなりの苦痛を感じています。

それと、例えが良かったかどうかはちょっと自信が無いです。
今、自分の喋り方について悩んでいます。キスマーク

正直言って、私は結構「敬語」や電話の受け答えには自信がありました。
謙譲語や尊敬語も使い分けられます。
でもふとした瞬間、いい間違ってしまったりするんです。
特に電話応対中でんわ
「かまいませんか」と「よろしいですか」の使い分け。
「どちら様ですか」ではなく「お名前をお伺いしてもよろしいですか。」
何度も注意を受けつつ、職場で特訓中です。

けれど、あまりにも無意識中の無意識なので
なかなか矯正できず、
激しく悩んでいますクシュクシュ

多分、自分の育ち方に原因があると思っています。
父の仕事の関係で、
人生の半分以上を海外で過ごしました地球

日本語を使うのは二から三ヶ月に一回といった時期もありました。
そんなときに触れる母国語は本の世界。
というわけだと思うのですが、
私は日常生活でも
「差し出がましいようですが」とか「努めます」とか「謹んで」とか
そういった言い回しを使ってしまうんです。
よく友人にも「堅苦しい」と言われてしまいます。

けれども、使う機会がとても少なかったので
誤用が多いのが実状です。







喋り方についての悩みはもう一つあるのですが
それはまたいずれ。