たまにですが 患者さんと会計に行き 処方箋を預かるとき
会計のカウンターに 処方箋を叩きつける事務員がいます。
失礼だと思います。が、腹は立ちません。
なんて 不器用なんだろうと逆にかわいそうに思います。思うようにしています。
こんにちは。
そう忙しくもないのに イライラしてるのか
患者の名前も間違えて呼ぶし
そんなことは ここではわからないから
看護師に聞いて下さいの言い方は最高に冷たいですね。
まあ、寒い時もあったから仕方ないか。
対応が今一つなのが気になります。
しかし。私には関係ないと言われたので知らない知らない。
春は出会いと別れの季節。
宇宙防衛局の機関長もメーテルやサーシャがいるかもしれない(かもしれないですよ)
未知なる惑星に行くようで 心なしか嬉しそうにみえます。
そんな出会いと別れの もうすぐ春らしくなるだろうという頃。
母上様が 心不全で入院しました。
たまたま私と車で市内に出かけていた時でした。
本当に別れになるところでした。
意識はないし、まあ いろいろとありまして
それが 笑ってはいけない事なんですが
何か変だと気づいて救急車に乗せるまでが笑えて・・・。
妹と涙を流して笑いました。
その泣き笑い話は ただいまイラストで作成中です。
はいはい、不謹慎です。馬鹿な娘です。が。
私、たぶん母が死んでも ここでは 皆さんに笑って見送ってもらいたいので
こんな書き方しかしないと思います。
意識を取り戻した母が「ここはどこ?」というので
「さあ、ここはどこでしょう!あなたは誰でしょう!」と聞いたら
「ここは病院、私は・・・お母さんですよ」と答えました。
「ああ良かった、私はテレサって言わなくて」と、こっそり思いました。
「お父さんがね、連れに来たかと思ったよ」と言うので
「この老けようじゃあ、お父さんも諦めて連れて行くのやめたと思うよ。
だってお父さん65歳、あんた85歳、親子みたいなもんじゃんよ。
お父さんは 向こうでのんびり年をとってんだから あわてなくてもさあ
まだしばらくは元気でいないといけないってこと、わかった?」
などと話をしながら、病院食がまずい、サブウェイのポテトを買ってこい
リハビリのジャージがダサいという我儘を
ある程度聞きながら 退屈させないようにしています。
退院したら しばらく妹や私の家で療養することになります。
デイサービスやショートステイも妹の勤務先を利用させようかな?とも考えています。
まだまだ様子見の状況です。
そんなバタバタしたある日
母のご近所のAさんから
「電話したら熱っぽいのよ、と言っていたけど。風邪でしょう?
子供の所でしばらく居ることは おばちゃんが納得してるの?」
私達が気をつけて みていてあげるから 嫌なら連れていかなくても
置いといてあげればよいの。良くなったら早く帰るように言っといて。」
と、電話がありました。
(母の要望で親戚以外には入院を知らせていません。)
ええ、確かに毎日電話で「おばちゃん、かわりない?」
有難いですよ。ほんと申し訳ないです。気をつけてもらって。
でも 気分が悪いから病院に連れて行ってと他人に言う母ではないんです。
あれから、幾度となく電話があり いつ帰ってくるのか
新聞を止めたがどうしてか等と聞かれます。
ご近所Bさんには 私の携帯番号が前の番号と変わっているが
変えた理由を知りたいと留守電がありました。(何年前の話??)
機種変して番号変わっても親に理由を聞かれたことありません。
他人に いちいち言わないといけませんか?
灯油がなくなったら、お母さんが倉庫にいれてる灯油借りて使うから(他人ですよ)
他にも ほんと・・・いろいろ。
ちょっとストレス気味です。
たまたま、で助かったものの
もしや、あれは そろそろ一人暮らしはやめておけという
ちょっと乱暴な父からのサインだったかもしれません。
もし私があの土曜日に フラダンスでも踊ってみようかと出かけていたら?
ちょっと ランチに行こうかと出かけてワインでもひっかけていたら?
ご近所から連絡をもらって往復3時間を信号無視・スピード違反・携帯電話運転・飲酒運転で帰っていたら?
間に合うものも間に合いませんよねえ。
それは父の時で よくわかっています。あの時父がそこで倒れているなら
そこに来ていた誰かが なんで早く救急車呼んでくれなかったの?
私がお風呂から出て 電話に気付いた時、なんで私が救急車呼ばなきゃいけなかったの?
救急隊員に どこでどうなって今どうなっているか聞かれて答えられなかった私の気持ち・・・。
あの日の昼に親戚のおばさん達と 試しに植えたジャガイモを選別しながら
「娘に苦労をかけたくないからなあ、死ぬときはぽっくり死ぬのがいいな!」
と笑って話してその何時間か後 ほんとにぽっくり死んじゃいました。
それが願いだったんだな、あれが寿命だったんだと自分に言い聞かせています。
お母さんまで そんなことになっては 私達 美人姉妹は立ち直れません。
今は 私達親子をそっとしておいてほしい。
心の中でそう思いました。
今日のランチ缶です。
桜が咲いたら お花見にいこう。
会計のカウンターに 処方箋を叩きつける事務員がいます。
失礼だと思います。が、腹は立ちません。
なんて 不器用なんだろうと逆にかわいそうに思います。思うようにしています。
こんにちは。
そう忙しくもないのに イライラしてるのか
患者の名前も間違えて呼ぶし
そんなことは ここではわからないから
看護師に聞いて下さいの言い方は最高に冷たいですね。
まあ、寒い時もあったから仕方ないか。
対応が今一つなのが気になります。
しかし。私には関係ないと言われたので知らない知らない。
春は出会いと別れの季節。
宇宙防衛局の機関長もメーテルやサーシャがいるかもしれない(かもしれないですよ)
未知なる惑星に行くようで 心なしか嬉しそうにみえます。
そんな出会いと別れの もうすぐ春らしくなるだろうという頃。
母上様が 心不全で入院しました。
たまたま私と車で市内に出かけていた時でした。
本当に別れになるところでした。
意識はないし、まあ いろいろとありまして
それが 笑ってはいけない事なんですが
何か変だと気づいて救急車に乗せるまでが笑えて・・・。
妹と涙を流して笑いました。
その泣き笑い話は ただいまイラストで作成中です。
はいはい、不謹慎です。馬鹿な娘です。が。
私、たぶん母が死んでも ここでは 皆さんに笑って見送ってもらいたいので
こんな書き方しかしないと思います。
意識を取り戻した母が「ここはどこ?」というので
「さあ、ここはどこでしょう!あなたは誰でしょう!」と聞いたら
「ここは病院、私は・・・お母さんですよ」と答えました。
「ああ良かった、私はテレサって言わなくて」と、こっそり思いました。
「お父さんがね、連れに来たかと思ったよ」と言うので
「この老けようじゃあ、お父さんも諦めて連れて行くのやめたと思うよ。
だってお父さん65歳、あんた85歳、親子みたいなもんじゃんよ。
お父さんは 向こうでのんびり年をとってんだから あわてなくてもさあ
まだしばらくは元気でいないといけないってこと、わかった?」
などと話をしながら、病院食がまずい、サブウェイのポテトを買ってこい
リハビリのジャージがダサいという我儘を
ある程度聞きながら 退屈させないようにしています。
退院したら しばらく妹や私の家で療養することになります。
デイサービスやショートステイも妹の勤務先を利用させようかな?とも考えています。
まだまだ様子見の状況です。
そんなバタバタしたある日
母のご近所のAさんから
「電話したら熱っぽいのよ、と言っていたけど。風邪でしょう?
子供の所でしばらく居ることは おばちゃんが納得してるの?」
私達が気をつけて みていてあげるから 嫌なら連れていかなくても
置いといてあげればよいの。良くなったら早く帰るように言っといて。」
と、電話がありました。
(母の要望で親戚以外には入院を知らせていません。)
ええ、確かに毎日電話で「おばちゃん、かわりない?」
有難いですよ。ほんと申し訳ないです。気をつけてもらって。
でも 気分が悪いから病院に連れて行ってと他人に言う母ではないんです。
あれから、幾度となく電話があり いつ帰ってくるのか
新聞を止めたがどうしてか等と聞かれます。
ご近所Bさんには 私の携帯番号が前の番号と変わっているが
変えた理由を知りたいと留守電がありました。(何年前の話??)
機種変して番号変わっても親に理由を聞かれたことありません。
他人に いちいち言わないといけませんか?
灯油がなくなったら、お母さんが倉庫にいれてる灯油借りて使うから(他人ですよ)
他にも ほんと・・・いろいろ。
ちょっとストレス気味です。
たまたま、で助かったものの
もしや、あれは そろそろ一人暮らしはやめておけという
ちょっと乱暴な父からのサインだったかもしれません。
もし私があの土曜日に フラダンスでも踊ってみようかと出かけていたら?
ちょっと ランチに行こうかと出かけてワインでもひっかけていたら?
ご近所から連絡をもらって往復3時間を信号無視・スピード違反・携帯電話運転・飲酒運転で帰っていたら?
間に合うものも間に合いませんよねえ。
それは父の時で よくわかっています。あの時父がそこで倒れているなら
そこに来ていた誰かが なんで早く救急車呼んでくれなかったの?
私がお風呂から出て 電話に気付いた時、なんで私が救急車呼ばなきゃいけなかったの?
救急隊員に どこでどうなって今どうなっているか聞かれて答えられなかった私の気持ち・・・。
あの日の昼に親戚のおばさん達と 試しに植えたジャガイモを選別しながら
「娘に苦労をかけたくないからなあ、死ぬときはぽっくり死ぬのがいいな!」
と笑って話してその何時間か後 ほんとにぽっくり死んじゃいました。
それが願いだったんだな、あれが寿命だったんだと自分に言い聞かせています。
お母さんまで そんなことになっては 私達 美人姉妹は立ち直れません。
今は 私達親子をそっとしておいてほしい。
心の中でそう思いました。
今日のランチ缶です。
桜が咲いたら お花見にいこう。