あれぇ?2025年終わっちゃうじゃん。

今年はどんな一年でしたか?

私は怠け者の王者として玉座に君臨し

口からは災いの言葉を発し

呪術を使えるのではないかと思われるほどに成長しています。

オボエテロヨ イツカコウカイサセテヤルゼ

オレノタマシイハ アクマニウリワタシテヤッタゼ

テンバイスルナヨ アクマヤロウ。

と自分でもよくわからない言葉を呟き

夜中目覚めては舌打ちしています。


ええ、少し疲れているんですね。

だから鬼滅の刃を何回も見にTOHOシネマズに行きました。



善逸のじいちゃんの場面では川向こうにいるのは自分の両親にも思えてなんとなく泣きそうになりました。

好き勝手な事を言った時もある、腹を立てて冷たくした事もある、それでも最後に

世話になってすまないね、少し寝て休んで来て、ありがとうね、と言われたら寝たふりしながら泣いちゃいますよ。

親ってね、いつまでも子供の心配しますよね。

妹が昔やんちゃだった昭和も終わろうとしていた頃。

そう あれは妹が両親や周りの人が困惑するような家族に惑わされていた時。

かわいいとか綺麗とか言われて舞い上がったのか

何も見えなくなって両親を困らせた時がありました。

私が誰と付き合おうが勝手から始まり

どんな所でもついて行く、私があちらの親の世話もする、昼夜問わず働いてでも私が養うから構わないとか

じゃあ家を出て行くとか、向こうの親は優しいとかいろんな事を言ってました。

私は両親が毎日心配して眠れない日々を過ごしていたのを知っていたので妹に未成年でなくても親は子供をいくつになっても心配する、心配されているという事はどういう事か考えたらいい。

自分さえよければいいのか、両親はあなたが苦労したり辛い思いをしたりする事がわかっているから厳しく言っているんだ。

それでも悪態をつくなら好きにしなさい。そのかわり両親も私も二度と会う事はないとはっきり言ったのでした。

多分後にも先にも妹に言って聞かせたのはそれ一回ですね。

結局目を覚ましてくれて良かった良かったになりましたが、当時母よりも父のやつれ具合は酷いものでした。

だから三途の川の向こうで、善逸のじいちゃんみたいに

お前はワシの誇りじゃ、とは私達に言ってないと思います。

話は脱線しましたが、えっと鬼滅の刃は映像や音楽最高でした。

どうして何回も通ったのかと言うと




ストレス発散とこれを作るためです。

まだ途中なんですよ、太い線を細くしないといけない。

そして組み合わせていかないといけない。

無限城を書いて切っていて何書いてるかわからなくなっていますが

私、大好きなカッターを片手に切って切って切って切って切ってまいります。




暖かくなったので冬の服を片付けたら朝起きたら雪が舞っていました。

寒暖差が体にこたえます。

3月初旬、母の一周忌が終わりました。

思う事がたくさんあり笑ってみたり

泣いてみたり考えてみたりしています。

母の最後は下顎呼吸が始まり2時間ほどでお別れでした。

しんどかっただろうと、辛かっただろうと思います。

在宅で看取る事の精神的な辛さや

最後まで一緒にいられて良かったと感じる事や

職場の人の空気が読めない態度や

何かわからない感情は一年たっても忘れる事はできません。

父が亡くなってから大雪の中迎えに行って買い物したり

危ない状態で書いてくれた一言や


亡くなった後に見つけた何冊もの日記など。


そんなのを見ていたらたまらない気持ちになりますね。

今まで 亡くなった後の父や祖母や親戚は見てきましたが

在宅介護で最後までというのは母が初めてでした。

手探りの状態で関わったことが母にとって良かったのか悪かったのか、それすらもわかりません。

一周忌が終わった今、庭に咲く花を見ながら母のいた部屋で思いにふける事もあります。

さて、ふける毎日ではいけませんから今私が暇つぶしにしている事を少し紹介。

滝平二郎さんの真似。真似、贋作、模倣。

藤城清治さんの真似もしてカッターナイフの使い方を練習しています。

1番のお気に入りカッターはダイソーのチタンコーティング。

よく切れて切り抜きついでに爪もとばしてくれる優れもの。

長かった爪は今では清潔な深爪。

デザインナイフも持っていますが力が入りすぎると思いっきり刃が割れてしまいます。

そんなに力を入れなくても切れるんですがついついお前の鼻を削ぎ落としてやろうか〜とグッとやるんですよね。

こうして一つ一つ切って色を貼っていると落ち着くんですよ。

これから暖かくなると母の部屋でのんびりと作業して色々と自分なりの作品を作ってみたいと思っています。

目標は窓いっぱいの作品かな?

おしまいの一曲はshe.

両親をよく知る花屋さんに聞いたのですが

父と母は若い頃、2人で笑いながらよくバドミントンをしていてすごく仲が良かったそうですよ。妬けちゃいますね。

2人にとってずーっとお互い大切な存在だったのでしょう。

もちろん両親はいなくなっても私の宝物です。

私の宝物箱は両親との思い出でいっぱいになりました。

あらためて2人に感謝したいと思います。


毎日暑すぎますね。

昔はこんなに暑くなかったのに。

水分とりましょう。水分にも色々あって

やみくもに甘いジュースやスポーツ飲料ばかりもよくないみたいですよ。

まあ糖分ありますからね。

エアコン?つけましょうよ。

エアコンつけてオリンピック見ながらね、初老ジャパンいいじゃないですか。






今年、綺麗に咲いてくれました。

さて、母を見送って来月初盆を迎えます。

あっという間に月日は過ぎていきますが

この寂しさをどう表せばよいのかわかりません。冗談を言って笑っている事で紛らわしています。

在宅介護についての記録はノートにまとめているので又公開したいと思います。


歩けなくなって一年二ヶ月、ベッドでの生活でしたが認知もなく楽しく過ごす事ができました。

訪問看護、往診、ケアマネ、ヘルパーの方々の力をかりて自宅で笑って泣いて母らしく暮らしてうん、良かった!

一つ残念だったのは今年デイサービスでコロナに感染した事。感染から回復してもQOLはどんどん低下していったことが本当に悔やまれます。お風呂に入る為にデイサービスを利用して、すぐ感染するとは。行かさなかったら良かったと思います。デイサービスの対応もすこぶる悪く腹もたちました。

コロナに感染した後、やはり後遺症はありました。人それぞれだと思いますが。

訪問看護、ケアマネは本当に素晴らしい方々で母も感謝したのではないでしょうか。三月後半から徐々に弱りしんどくなる母を毎日2回訪問して看護してくれ私の心のケアまでしてくれました。

最後は夜中だったのですが電話をしたらすぐに来てくれて、又その後もう1人看護師が来てくれて、落ち着いて母とお別れすることができました。

ケアマネさんも朝方、来てくれて色々話した事です。

葬儀は母が希望していたとおりの人々だけで家族だけでひっそり、あちこち連絡しない私は守りました。

当日は桜が満開で美しい景色の中をゆっくり父のもとに歩いて行った、いやセニアカーで行ったかも。

妹と、あたいら みなしごになっちまったよと斎場で泣き笑いしたことでした。

不思議なもので、亡くなる1週間前に

"東京の人や北海道の議員さんは元気かね?カンボジアの人達は食べる物に困ってはないかね?"とふいに思い出して聞いてきました。

チビ太さんやジェームズさん達、東さん、WLAの皆さんの事です。

うん、元気よ、元気。(だと思う)と言うと

良かった良かったと笑っていました。

仕事から帰ってきて和室をのぞいたら

ベッドの上から"おかえり!"と元気よく声をかけてくれて、折り紙を折って日記を書いて、テレビを見て鼻歌を歌う姿がもう見られないのは寂しい。

洗濯だってたたんでもらえないw


でもねお父さん、お母さん 一生懸命生きてくれたんだよ。ありがとうだよ。

偶数月になったらさあ、今月はお父さんの給料日だ、お父さんご苦労様って年金の事言って。

やっぱり私はメソメソしないさ、私は2人の子供でよかったよ。

私が会えるのはまだまだ先だろうけど、あの世でも2人が稼いどきな!笑泣き笑い