岩手銀河100キロマラソンと復興支援 | 三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

三女は卵黄嚢ガン闘病~寛解。パパは走り続け、親父の背中を見せる!

フライフィッシングとウルトラマラソンにハマったパパの娘が、2015年11月に卵黄嚢腫瘍と診断、闘病を経て2016年4月に寛解。ガンと闘いながら走り続ける我が家の話。少しでもどなたかのお役に立てれば。

これまで過去のレースについて書いてきましたが
そろそろ岩手銀河について書きます。


走り始めて3か月後に
東日本大震災が起こりました。

震災後に、職場からの復興支援要員で仙台に行き、避難所での生活支援に取り組みました。

その後、様々な復興支援に携わり
職場の有志で組織したボランティアグループでは、岩手の釜石で震災直後から活動する良い仲間に出会いました。


美しい東北の沿岸が
ガレキの山に埋もれ
そのガレキが片付いていくと同時に
震災、復興も
少しずつ風化していく

私にはそう見えました。
(実際に関東では、震災関連の報道は激減し、人々の興味は薄れ始めていました。)


東北で必死になって復興支援に取り組む仲間をみて

まるで復興支援は
辛く、果てしないウルトラマラソンのように、
フルマラソンの距離を走っても
まだ60キロ近くの距離を走る必要がある。

ガレキが片付き、何もない土地に
新たな街を作る。

先が見えず
どこまで進めば良いか分からなくなる
辛く、途中で投げ出してしまいたいけど

必ずゴールはある。


まるでウルトラマラソンのようだ、と感じました。


そんな経過で
岩手の仲間とともに、
岩手を走ることを目標にしてきました。

結果的には、岩手の仲間とは一緒に走ることは出来ませんでしたが
横浜で復興支援に携わる仲間と走りました。


非常に厳しいレースで
何度もリタイアを考えましたが
復興支援を目標にしたため
無事に完走する事ができました。


続く


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