今日は話してみたいことがあったので、パソコンから書きます。
抽象的でよく意味の分からないことだけれど、自分が書きたいから、書きます。
昨日一人で出掛けて、「横断歩道の黒い部分だけしか歩いちゃいけない」みたいな「自分ルール」をつくって遊んでいる小さな男の子や女の子をたくさん見掛けました。
夢中でたどたどしく歩く彼らの後ろを、時間に余裕が無かったのでほんの少し苛々しながら歩いていたのですが、同時に「やっぱりそうだ」と思いました。
自分だけの世界、自分ルールをつくって、なんでもない道で遊べる。
それが子供だなあって。
素敵だとも思ったし、羨ましいとも思った。
最後の場面で、梨花子は明け方の都会の街で何度も何度も同じ横断歩道を歩きます。
右足に黒、左足に白。その先の見え過ぎた繰り返しに同情したくなる、と溜息をつきながら。
梨花子は自分が白いことを分かっていて、選んで白くなったと言います。
さーちゃんは最後の最後まで、梨花子は生粋の「白」だと信じています。
そんな彼女を梨花子は、自分は黒いと思い込んださーちゃんは、白過ぎた、と言います。
だけど横断歩道を行ったり来たりしながら、既に梨花子は言っているんです。
(抜粋、略)
彼女は自分が白いことを理解していて、隣に黒があるから輝けることも理解していて、その「黒」とは紛れもなくさーちゃんのことです。
だから、黒いさーちゃんという踏み台、リフレクター、とでもいうのかな?を利用して自分が輝いていることを分かっているはずなのに、彼女はさーちゃんのことを「白過ぎた」と言う。
この矛盾。
「天才には、自覚が無い」
一番のテーマでした。
なにもない。そう、私には、なにもないのだ。魅力も、才能も。なにもないから、なにもないだけで、何かを持ってしまった何かに囲まれる私は、輝くことが出来る。
彼女は自分で選んで白くなったと言うけれど、ここでも彼女の無自覚さが表れます。
ここの場面は、全てを理解して純粋過ぎたさーちゃんを哀れんでいるように見えるけど、本当に何も分かっていなかったのは梨花子の方なんじゃないか、とか。私にもわからない。
そしてもう一つの大きなテーマは、
「才能は、存在しない」
というものです。
それ、を酷く好きに思う人がいるかどうか、でしかないと思う訳です。私は。
何かに強く惹かれた人間が、「あれは才能だ」と後付して呼んでいるようにしか思えない。
リリーには、才能がある
そう信じて疑わない馬鹿な彼らの脳に手を突っ込んで脳みそをぐちゃぐちゃにかき混ぜて、そのおかしな考えを改めさせることなど、何の意味も無いことのように思えた。私には才能がある、そう思わせているやつらはそのままにしておけばいいのだ。
そして梨花子が言うように、才能が有る「こと」によって輝けるのではなく、才能が無い者たちが羨んだり讃えたり「才能」という括りで線をひくから、「特別」になれるだけだ。と。
梨花子は自分に才能があるって、気付いていたのかなあ。
あ、才能は存在しないんだっけ。
そんな、堂々巡り。
終り。