こんにちは。ローガンです。
家内が他界してから2ヶ月。時間が経つのは早いものです。
最近はようやく落ち着いてきましたが、時間があると後悔の想いだけが頭によぎります。
今更ですが、これまで気になっていたことをつらつらと書いてみようと思います。
家内は度重なる点滴で腕の静脈がボロボロだったので、鎖骨部位にカテーテルを設置しました。
ただ、最初のカテーテルは途中で曲がっており、点滴もろくに通りませんでした。おまけに感染していて、炎症が起こっていました。そこで、反対側に新たにカテーテルを施術したのですが、これもまた感染。抜いた時に膿汁が噴き出たぐらいでした。
血液培養の結果から敗血症になりかけていて(別に血培するまでもない)、血液からはグラム陽性菌と陰性菌が検出されました。まあ、グラム陽性菌(黄色ブドウ球菌)ぐらいは針を挿入時に皮膚から侵入することもまれにあるので仕方ないですが、グラム陰性菌が検出されたということは、施術者の手が汚染されていたと考えるのが妥当でしょう。
トランスロケーションと言って、免疫の低下した患者の腸管から菌が血流に移行する場合もありますが、状況から考えて手術の際に感染していたと考えるのが普通です。このことを担当の外科医に言ったところ、「あ〜、感染してましたか〜」でお終い。ちなみに医師が手を洗わないことは海外を含む学会でも問題になったこともあり、"Doctor, please wash your hands"というポスターができたぐらいです。
一応、富山では中核となる病院(名前は言いませんが、富山の中央の病院)なのですが、なんと感染症専門医は一人しかいないとのこと。抗菌薬の使い方を見ても、教科書通りの投薬しかしていませんでした。あまりにもレベルが低い。
手術を通じて、この数年間、担当していたのは産婦人科の女医さん。再発時に薬が効かなかった場合の対応を聞きましたが、その答えが、「まっ、そうなったら死ぬしかないわね〜」の一言。あまりの無神経さに愕然としました。
おまけに亡くなる日は学会で出張とのことで、死亡判定は宿直の他科の医師にして貰いました。そのことについても、何の音沙汰も無し。
最後に入院したのが、緩和ケア病棟。
この病棟は患者さんの痛みをケアし、安らかに死を迎えるための病棟、のはずだったのですが、廊下を通ると、各部屋から「痛い!」、「助けて!」という悲鳴があちこちから聞こえてきました。
実際に家内のケアもして貰いましたが、点滴されるのはアセトアミノフェンとロキソニンで、たまにレスキューと称して15分ごとに痛み止めの注射だけ。アセトアミノフェンは要はカロナールの成分で、よく使われているのが風邪薬。ロキソニンは腰痛のお薬。
僕は痛みの専門ではないので、よくわかりませんが、これが全国の緩和ケア病棟での標準療法なのでしょうか。
看護婦さんは夜中でも嫌な顔一つせず、本当によくして頂きましたが、緩和ケアの医師が顔を出したのは一回のみ。それもレスキューの薬が効きにくいので、僕が増量を依頼した際に、本当に嫌そうな顔(どう見ても面倒くさいとしか思えなかった)をしながら、「まあ、仕方ないですね〜」と言って顔を出しただけ。それ以来、家内が亡くなるまで一回も顔を出しませんでした。
こうなると、地方の病院というのは治りやすい患者のみ対応して、治らない、または治りにくい患者に対しては、死を迎えるためだけの施設のような気がしています。
今更ながら、なぜ国立がんセンターの治験が失敗した時点で東京の他の専門病院に行かなかったのか、判断を後悔しています。
では他の県内の病院であれば良かったのか・・・・・
答えはノーだと思っています。程度の差こそあれ、ともかく地方の病院の医療レベルは極めて低い。今後、何かあれば無理をしてでも東京の専門病院にかかったほうがマシだと思います。
それでは、また。