我が子の習い事遍歴
我が家の姉妹が
バトントワリングを始めた
経緯まではお話しました。
習い事のひとつとして始め
週1回金曜日の夜にお隣の小学校の
体育館でバトンを回す。
子どもがクルクルとバトンを回して
ちょっと踊ってみたりして可愛かったですよ。
そうしているうちに
バトンフェスティバルやろ
コンテストやら大会めいたものに
出るようになって練習は週2回に。
春休みはバトンづくしに
習い始めて1年が経とうとしている春休みに
バトンフェスティバルがありました。
同じ教室で習っている子どもたちが
全員出演して大きな体育館で
お客さんの前で踊るのです。
春休みは毎日バトンの練習になりました。
こうやってバトン沼にはまり
次はコンテストだ
パレードに出演だと
2人の娘たちのマネージャーに。
チームは先生だけでは手が回らないので
役員になり、衣装も職人のように
70枚のパンツを作るなど
親の私も沼にはまり方が半端なかった。
娘たちは上達していくので
真面目に練習していると
ちゃんと上達するのですよ。
楽器の練習と同じで
毎日やると結果がついてくる。
コンテストで金賞もらえて
できなかった大技が取れるようになる。
家の前や近くの公園で
練習するのに付き合って
見ていたこともありました。
4年間町田から世田谷へ通う
近くから通っていたのは最初の2年で
我が家は町田へ引っ越しました。
バトンへは私が車を運転して
娘たちは車の中で
晩ごはんのお弁当を食べ
4年間通いました。
バトンクラブ単独での発表会を
初めて開催し、私はその時保護者会の
会長でした(笑)
長女が小学校を卒業するまで続き
中学生になって町田の先生の
レッスンを受けるようになります。
めちゃくちゃ鍛えられた
町田の先生のレッスンに通うようになり
めちゃくちゃ厳しいレッスンを受け
選手権の選手にまで上達しました。
関東大会で入賞しました。
週3回の練習は
土日は6時間とかザラでしたよ(汗)
お陰で精神力と体が
鍛えられたと思います。
高校受験とともに卒業
そんな厳しい練習は
同級生たちが部活を引退する頃に
娘たちも卒業していきました。
高校受験と厳しいバトンとの両立は難しく
高校に入学したら通学と勉強が大変でした。
学校の部活動も経験したいということで
高校では長女は吹奏楽部に
次女はバドミントン部に入りました。
部活動でしか得られないことって
ありますよね。それも経験でき
娘たちは大人になったわけです。
打ち込むこと
夢中になってなにかに打ちこむ
諦めない心や粘り強さは
ここで身についたと思います。
私もずいぶん時間を費やして
サポートしてきました。
その時期に自分自身のキャリアを
積むことはできなかったけれど
その時にしかできないことを
精一杯やったと思っています。
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