静岡県三島市でIHキネシオロジーをベースにし 音叉やEFT,マトリックスリインプリンティングを
取り入れたセッションをしております。
キネシオロジーとは、
筋反射を取ることで、潜在意識の感情や思い、苦しみの原因を見つけてヒーリングしていくヒーリング方法です。
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「病気と私」を、シリーズ化して書いていこうと思っています。
よろしければ、お読みください
☆「病気と私」エピローグは→こちら
セレスチャルともこの「病気と私シリーズ」第一話
<虚弱で超敏感な子が病気の宝庫になるまで>
私は、幼少時から身体が弱く、すぐに熱を出して寝込む子でした。
性格は、内気で繊細、傷つきやすく、恥ずかしがりやで人見知りが激しいこでした。
3才になったころ、
喘息発作で、夜中に呼吸ができなくなり、父が血相を変えて私を抱いて、救急に行ったことを今でも記憶にあります。
また、幼稚園の年少時、ある男の子から
「お弁当食べるのが遅い。」と、
からかわれた事がトラウマになってしまい、
次の日から幼稚園でお弁当を食べることができなくなってしまった。
先生や母からは理由を問い詰められたが、
本当の事を言うことができなくて、ただ下を向いてずっと泣き続けていた。
当時の私は、幼稚園での集団生活が楽しかった記憶があまりない。
疲れやすく、食も細く、体力もなかった私は、
すぐに体調を崩してしまい、1週間続けて登園できた日はなかった。
小学校に入ると、喘息はよくなったものの、花粉症が発症し、頻繁に扁桃腺炎に悩まされるようになりました。
運動会や遠足、家族のイベントや、気温の変動などがあると、すぐに喉が真っ赤に腫れて痛くなり、40度近くの高熱が出てしまう。
高熱で意識は朦朧とし、泣いてしまうほどのどの痛みで、食べ物はおろか水さえも飲めず、回復に1週間以上かかりました。
その度に、病院からもらう、吐いてしまうほどの苦くてねずみ色した
抗生物質を飲まなければいけないことがすごく苦痛でした
3日も服用すると、副作用で、ひどい口内炎がボコボコできて、口を開けることさえも辛くなるという、まさに泣きっ面に蜂状態でした。
子供心に「自分で薬を作ることができれば、病院に行かなくてもいいし、こんなまずい薬を飲まなくていいんじゃないかな。」と思いながら、ガラス越しに薬局内で働く薬剤師のお姉さんを眺めていました。
虚弱だったこと、薬の副作用の辛い記憶、
苦しんでいる人を助けたいという思いが元来あったこと、そして親からの期待も相まって大学は薬学部へと進学しました。
卒業後、2年間の留学を経験して帰国した私は、
すぐに薬剤師として働き始め、充実した日々を過ごしていました。
3か月後のある日、父がステージⅣのガンと判明しました。
父はすごく頑張ってくれましたが、1年後に旅立っていきました。
私は、自分の中の「大黒柱」を失い、空洞になってしまった感じがありました。
父の死のショック、後悔、葛藤、悲しみなど様々な思いは、
私の心の深い所に押し込まれたまま、長い間癒されることはありませんでした。
残された母の事、また、仕事のストレス、人間関係のストレスなどが段々と積み重なり、
30歳を過ぎたころから、私の身体は、様々な不調を出し始めました。
薬は、いつも身近にあり、適当に繕って服用し、なんとかその日をしのいでいくう日々を送っていました。
皮肉にも、小さい頃描いた「自分で自分の薬を調合できたらなあ」という願いは叶っていたことになります。
残念ながら、
一つの症状を抑えても、違う新たな症状が出てくるようになってきて、結果、服用薬は増えていきました。
このような負のスパイラルにはまっていく生活を続けた結果、
30代半ばには,「病気の宝庫」と化してしまいました
円形脱毛症
過敏性大腸炎
成人性アトピー
花粉症の重症化
片頭痛
酷い肩と首の凝り
慢性疲労
睡眠障害
メニエール
ストレス性胃炎
過呼吸
パニック障害
喘息など
(思いつくのだけでもこれだけありました)
また、金曜日になると、疲れとストレスから、
微熱が出て喉が痛くなり、せっかくの週末は寝込むことも多かった。
当時の彼に申し訳ない思いで伝えると、
「そうだろうね。 だって金曜日だもの。」と
皮肉たっぷりに言われて悲しかったな。
それでも、生活スタイルを変えることはできなかった。
疲労は慢性化し、身体は重くてだるく
調子がいいと思える日はほとんどありませんでした
働き始めたころにあった、
人生の希望や充実感はすっかりと消えさり、
私の頭の中は、「~しなければいけない」という義務感ばかりで、
自身を叱咤激励し、日々の生活をこなしていた。
あの手この手で、身体はサインを出してくれていたのに
当時の私は、全く耳を傾けることをしなかったのです。
それどころか、
身体が弱くて無理が効かない自身を情けないと思っていましたし、
もっと頑張らないといけないといけないと思っていました。
仕事柄、心身のストレスは多い業種だと覚悟していた。
そもそも人生は、困難だらけで、ストレスフルなもので、
上手くやりくりして生きていかなければならないと思っていました。
こんな生活を続けること数年、
しだいに私の身体も心も限界に来ていたのです。
そして、とうとう 「慢性関節リウマチ」になってしまったのです。
尋常ではない腫れと強烈な痛み、微熱とひどい倦怠感に襲われ、
私は、今までのような生活を続けることは不可能となりました。
もちろん、仕事にも支障がでて、
朝起きれず遅れることもあったし、
立ち仕事、重いものを持つ、指先の力を使う仕事などができなくなりました。
自分自身が「使いものにならない」と、情けなく、責めていた。
生活すべてに強制的にストップがかかってしまった状態でした。
この病気の真の意味に気づいたのは、ずっと後の事。
ヒーリングに出会い、初めてその意味を理解したのです💓😃
No2へと続く・・・・
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