物事を常に善か悪か、正か否かに分別しなくなれば、意識はもっと穏やかになってくる。
ジャッジ(判断)と言う重荷を捨て去った瞬間、心の中で交わされる対話はもっと穏やかになり、無心の境地(思考と思考の合間)にずっと簡単に入っていけるようになる。
定義、レッテル張り、説明、解釈、評価、分析、ジャッジ(判断)などを止めることが大切だ。
このようなことをすれば、心の中で騒がしい対話が始まってしまう。
★★★
原文では、ジャッジではなく、判断と言う言葉になっている。
(英文ではJudgement is unnecessary になっている)
私はジャッジというと、「決めつけ」とか「第三者からの見解・意見」
という感じでとっている。
この文は、アドバイスや説明などもジャッジの仲間だという。
私は全く気づいていなかった。
私は、目の前の人の為になると思いクドクド自分の意見を述べていた。
身内に対しては、特に自分の100%正しいと意見を押し付けていた。
なんと傲慢なんだろう。
これを読み、目が覚めた気がした。