昨日、10月23日に44歳になりました。
たくさんのメッセージやプレゼント、
ありがとうございます
少しずつお返事させてくださいね!
先週の青森からお祝いが続いて、嬉しい
あちこちで、
ご縁をいただいていた10月
10/15〜19 青森
10/20〜21 三重
両親に感謝に感謝を伝えて。
午前3時の手帳会からのご縁で、
たくさんの大好きな仲間たちや、
尊敬する人たちと出会って、
大切な時間を過ごすことができました。
44歳の人生のテーマ。
赤塚さんの別荘で、
イエスの勉強会で耳にした言葉。
「大いなるものに自分を明け渡した生き方。」
かっこちゃんとの対談の中でのは、
「サムシンググレイト」そうすると、想像もできない未来が舞い込んでくる。
目の前に起こることを、自分で良い悪い、必要か必要でないとジャッジしないこと。
なぜ、この言葉を受け取ってかというと、
私がめちゃくちゃジャッジし生きてきたから
誰かに対しても、自分自身に対しても。
エゴ、執着、恐れ。
恐れの中で、
必要でないと決めつけて、
いろんなお願いやチャンスを、
避けてきたんだって、気づいた。
小さい時に、
家庭の中でよく聞いてきた言葉。
「あの人の顔は、ぶさいくだ。」
「お前は調子だけはいいな。」
「大学に行かないやつは、ダメ。」
上下関係、人を外見や肩書きで、
決める時代背景もあったのかもしれない。
だけど、心と身体が不一致な私にとって、
誰かに何かを決めつけられることは、不快でしかなくて。
ずっと、そう言ってくる父を嫌っていた。
愚痴を聞かされて、
思い通りにならないと、無視される日常。
世間的に正しいと思われる自分自身でないと、
愛されない、罰を与えられる、恐れからの選択で生きていきた。
だから、人から頼られたり、頼まれたり、
何がをして欲しいと言われた時に、
反射的に嫌悪感と、
「なんで私がやらないといけないの?」って、自分が顔を出すことがあった
それは、
お手伝いをして役に立ちたい気持ちと、
本当はやりたくないけど、
怖いから、
我慢して言うことを聞かないといけないっていう相反する気持ちがあったんだなーって思う。
もちろん、今考えると、
両親がしてきてくれたことは、
ぜんぶ「愛」からだったって、わかる。
高卒で社会に出て苦労した父は、
きっと、子どもに苦労してほしくないって、
思ったから、伝えてくれていた。
父の愚痴を私に伝えていた母は、
私を信頼していたのかもしれないし、
愚痴を聞いていたからこそ、
人の弱さにも寄り添って話を聞いたり、
ファシリテーションでバランスを取る、
そんな才能を伸ばすことができた。
そんな小さな、ひとつひとつも、
ぜんぶ、自分が自分として生きるために、
必然的に起こっていたんだろうな。
だから、この44歳。
目の前に起こる出来事を、
喜んで承る生き方をすると決めた。
私を活かしていただく、生き方へ。
自分から壁を取り払うこと。
あることを見て感謝すること。
自分も仲間も信じて生きること。
弱い自分も強い自分も全部認めて許すこと。
青森、八戸、赤塚さん、
おとまや朝活メンバーから受け取った、
ただただ、目の前の人が喜ぶことを全力でする。
癒しと許し、自分を生きる、
身を委ねることは、私の人生のテーマ。
どんどん、丸裸で生きる
より大きな愛を循環させる生き方を体現する。
そんな44歳にも、
お付き合いいただけると、嬉しいです
これからも、よろしくお願いします