邦題:変態村 原訳:ゴルゴダの丘

61点。

 

「変態村が一枚、変態村が二枚…(・∀・)ノ ⌒ ゚」

原題は当映画全体を象徴するものです。主人公マルクの旅は、無実の罪で捕らえられ精神、肉体的に虐待される過程を描き、キリストの受難を想起させます。恐らく世界で最も有名であろう、このお話を私は全く知らないから。当映画でお勉強することにしよう。そうしよう。

 

その前に、ちょっとした歴史のお勉強から始めましょうか。テストに出しますね。

 

~近代のフレンチホラーの歩み~
 

1998年、トロント国際映画祭の〝ミッドナイトマッドネス〟が部門として制定される。主に、カルトやアンダーグラウンド映画を扱う。

2003年、「ハイテンション」が上映される。

 

2004年、とある批評家が〝新フランス過激派〟という言葉を用いて、1990年代後半~2000年代前半にかけて、フランス映画製作が暴力的な方向へ向かっていることに苦言を呈した論評を展開したところ、当部門が一時期の新フランス過激派においての登竜門的存在になる。

 

2007年「屋敷女」、2008年「マーターズ」が選ばれる。

 

2009年、ミッドナイトマッドネスに観客賞が設置され、以後は登録される。

 

そういった潮流にありながら、なお、異質な存在でひっそりと沈んでしまったのが当映画、2004年「変態村」です。

 

 

~あらすじ~

各地を巡るシンガーのマルクは移動中、車が故障して立ち往生する。土砂降りの雨の中、マルクはペンションを発見。初老のオーナー・バルテルはマルクを迎え入れるがマルクはバルテルの異様な接し方に不安を覚える。やがてバルテルは狂いだし…。

(※U-NEXTより抜粋)

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、感想。

 

 

□まず、マルクは人々を魅了するという設定を理解しなければならない。

主人公のマルクは巡業しながら稼ぐ、売れない歌手っぽい。お世辞にも上手とは言えない歌唱力、お遊戯レベルのパフォーマンス。ただ、不思議と耳に残ってしまうメロディと歌詞が正に、シュールレアリスムを体現しているねえ…。

 

 

仮に、玉置浩二とか宇多田ヒカルの生歌唱ならば、私も魅了される自信があるけど、こんなの見せられて、私どうしたら良いの!?

 

因みに、この歌詞でいうところの「僕の一週間」は、ゴルゴダの丘で処刑されてから復活するまでの期間のことで、宗教上、重要な意味合いがある。兎に角、彼の歌声やパフォーマンスは、人々に癒しを与えるものであるということ。説明が付かない描写ってある意味で正しい。だって、神の魅力など、言葉で説明出来るわけがない。

 

 

□「マルク 私って本当は――あなたにウンザリなの」

当映画の女性たちはマルクに対して特別な感情を抱いているけど、彼はその期待には応えてくれず(それこそ10年弱?)最終的に失望感が募ったということだね。

 

 

マルクはこの先に様々な形で、自身のアイデンティティの喪失や孤立を経験することになる。その一環の描写と言えて、後のバルテルとの対比にも効かせている。当映画が描く、狂気と現実の境目がこれでくっきりしてくるね。

 

 

□車の故障で立ち往生したこの地域には、不思議と女性が居ないんだな。

ジェンダーとしての役割の女性が居ないことを一因とするのか、孤立した村の閉鎖的な環境は、文明や道徳から切り離された空間になっていて、村人たちは人間の欲望、暴力性を抑制せずに、宗教的な道徳からも逸脱して、罪深い行動(豚さん)に及んでいる。バルテルや、他の村人たちがマルクに見せる異常な行動や執着も、彼らが宗教的な道徳を失った結果だね。ただ、当映画は生理的嫌悪感を持たせる描写を無理矢理にでも見せて来る意図は無さそう。血が噴き出るようなこともないしさ。

 

 

つまり、制作側の狙いは、心理的な恐怖を追求することだったと思える。人間の暗い側面や、極限状態に置かれた時の反応を描いたホラーだから、肉体的な痛みの描写もあるんだけど、そこに重きを置いていない。これが、同時期の新フランス過激派とは同じ潮流でも、道を違えんとする理由とも言えるかな?

 

 

□そんなのを追求した結果、パブで村人たちがペンギンダンスをする不思議。

映画全体のテーマと狂気の世界観を象徴的に表現する重要な場面と言えて、当映画を狂気たらしめる一番のシーンって豚さんでも、磔でも無く、ここだ。バーで村人たちが一斉に、上半身を左右に振って踊り出すという異様な行動の描写は、前述していた通り、村の閉鎖的で歪んだコミュニティの狂気を視覚的に表現したものだ。これから始まるのは彼らにとっては一種のお祭りなのだからね。わっそい!

 

 

いや、だから、怖いとかじゃなくって。シュールレアリスムの極みになってしまってるってば!あれ?…何だか、私の体も左右に動いちゃっているわ…((;゚Д゚))

ちょ だれかたすけ

 

 

~総括~

この映画は宗教を侮辱する意図は全く無く、至極、真面目に制作された映画のはず?狂気と現実の境界を描いて、心理的な恐怖を追求することで、視聴者に強烈な印象を与えるって感じ?人間の暗い側面や極限状態に置かれた時の反応を描き出して、そのシュールな描写は視聴者を魅了すると言えるのかな?

 

 

これを書いてる自分ですら、何だか良く解らなくなって来る不思議。

 
サムネイル