邦題:キング・オブ・コメディー

78点。

 

何だか、闇が深いストーリーだこと。レビューはここを重点的に書こうと思う。

 

 

〜あらすじ〜

コメディアン志望の青年ルパートは、有名コメディアンのジェリーに接触し、自分を売り込もうとするが全く相手にされない。そこでルパートはジェリーの熱狂的ファンである女性マーシャと手を組んでジェリーを誘拐し、自らのテレビ出演を要求するが……。

(※映画ドットコムより抜粋)

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、感想。

 

 

□似た構成の同監督と同俳優のあの映画の存在。

主人公のルパート・パプキンは終始テンションが高いことに加えて、人間的な成長が無い。その上、マーシャ・キングもどっこいレベルの狂人なので、相対的にルパートが霞んで見える可能性がある。当映画は人が死ぬことも無いし、その意味ではさらっとしてるとも言えるけど、これは「タクシー・ドライバー」と比較した場合に、深く印象に残り難い方に位置すると思う。…それでも、私はこちらの方が好みだった。

 

「そんな人はいるかな?いないと寂しい。(笑い声)」

 

 

□当監督は個人的な映画を撮る〝抒情的〟な人なんだと理解する。

解り難くて当然だったんだ。キング・オブ・コメディなんてタイトルを付けながらも全くエンタメに振ってないもん。ブラック・コメディだって?ふーん。

 

 

 

それか、単純に私が、スタンダップコメディアンの面白さを理解出来ないだけかも?

 

1982年のアメリカは、テレビやラジオが情報と娯楽の中心であり、有名人への崇拝が強くなっている世相でした。当映画はこのような背景を反映し、メディアの影響力に対する風刺映画としての側面も持っています。その担当はジェリーです。

 

 

□パプキンのコメディは彼の人生そのものの表現であるから。

観客にそれを認め、笑い飛ばしてもらうことで、自分自身の人生を救おうとしたんだと私は思う。ってか、彼が語る通り、そのまんまだね。ここは根幹のネタバレ。

 

皆さん こんばんは 私の名はルパート・パプキン

ニュージャージー州 クリフトン産のイモ 同郷の人はいるかな?

いなくてよかった

 

両親は貧乏で 僕に子供時代を買えなかった

貧乏だが ドン底生活ではなかった ドン底になると 隣町へ追放される

 

両親は僕を育てかけたが 途中でイヤになった

"欠陥品" として病院につっ返した

それでも おふくろのおかげで何とか育った

もし おふくろが生き返ったらー "ママ、まださまよってるの?"

 

君らに おふくろを見せたかった 金髪 美人 インテリ アルコール依存症

一緒に牛乳を飲んだ おふくろのは酒入り

スピード違反で捕まった 場所はガレージの中

血液検査では 血液の割合2%

 

僕とおふくろは よく冗談を言い合った

おふくろは笑い転げ いつも吐いた 掃除するのは おやじではない

おやじは角の酒屋で吐いてた

 

僕は吐くのが大人のしるしだと思ってた

よその子はこっそり 隠れタバコ 僕はこっそり指をのどの奥へ

一生懸命 練習したが うまくいかない おやじに見つかって―

ドヤされて 思い切り腹をけとばされた

おやじの新しいクツの上へ ドバーッ "やったぞ!やっと大人になれた!"

 

おやじが僕に注意を払ったのは この時だけ

あとは妹のローズを相手に 公園で野球 その練習のおかげで―

妹のローズは たくましい男に成長した

 

僕はスポーツが苦手 友達に殴られるのが 僕の唯一の運動

殴られるのは毎週火曜日 学校の時間割りに 組み入れられた

僕を殴ったら1点もらえる 僕を殴れないヨワ虫に 僕はこう言った

"さっさと殴れよ 卒業できないぞ"

全身骨折で卒業した小学生は 僕が初めてだ

 

子供のころから 僕が興味を持ったのは芸能界

トップを狙った つまりサイン集め

 

今夜 ジェリーがいないのは なぜか

彼は縛られてて来られない 僕が縛った

ウソではない 芸能界に入るための手段だ ジェリーを誘拐した

ジェリーは今 イスに縛られている

 

笑ってもらえて うれしい 出たかいがあった

君らは僕がイカれてると思うだろう

 

だが ドン底で終わるより 一夜の王になりたい―

 

これは、彼の心理的な解放をもたらすものであって、一種のカタルシスでしょうね。

 

 

□母親はもういないけど、声が聴こえてくるから。

上記の芸を披露する途中にも、母親の声が聴こえて来るよ…?

 

・パプキンの無意識下で抑圧された母親への愛情や承認欲求の現れ。声だけの出演で描かれるのは、彼にとって、母親は充分な存在感を持たなかったのかも知れない。

・妄想の中で成功を追い求める自己と、現実に引き戻そうとする道徳的な自己の対立が、内なる葛藤を引き起こす際に幻聴となって現れるようだ。

・彼にとっての現実認識がどれほど歪んでいるかを映画として表現するもの。

・パプキンは成長過程において、適切に自立出来なかったことを反映していて、無意識の中で感じる束縛や、依存からの解放を望んでいるといった心理である。

 

 

□諸々の考察は、ラストのルパート・パプキンのこれからに繋ぐ。

幼少期の彼にとり、両親より充分な愛情や承認を得られなかったという心理的な欠如を、無意識下で埋めた手段がコメディアンになる夢だ。それは、承認欲求を観客から得ようとする代償行為にあたる。

 

大人になって、彼はますます、成功への執着が強くなっていく。自分の才能を信じ、他人からの承認を得るために必死だ。それはやがて、彼の現実の辛さや承認の欠如を補うための防衛機制として、妄想の中で理想の自分を作り出すことになる。そして、彼の生活の最早、一部となってしまっており、現実との区別がつかなくなっている。それは「未来世紀ブラジル」のサムと同一の状態だ。

 

ついに、パプキンの無意識下の欲望が限界を迎えた結果。テレビ局にアポ無しで突撃するところから始まって、強引に侵入し、ジェリーを探し回るといった描写に進んで行き、とうとう、ジェリーを誘拐することになるけど、そのラインを越えさせたのは同じ境遇の(或いは、それ以上の。)マーシャの存在が大きいと思う。

 

 

~総評~

パプキンはついに自分の夢を実現し、観客からの惜しみない承認を得たことで、深い充足感を得ました。けれども、それは同時に今までの人生の目的を果たしてしまったことを意味していて、次に彼を襲うのは空虚感かもね。罪を犯してまで、がむしゃらに実現させた分、振れ幅あるし。ラストで言葉が出て来ないのはそれが一つの理由になるかな。ジュリーが新しいキング・オブ・コメディの誕生を、複雑な表情で見つめるのも印象深く思いました。

 

 

サーシャと夫婦漫才に転向するまで描いてくれたら笑うんだけどね。

 
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