邦題:未来世紀ブラジル
61点。
 
U-NEXTで公開されているのは、国際版142分、ギリアム監督第一決定バージョン。
他に、90分に短縮して、結末をハッピーエンドとしたバージョン等、5種類あるそうですが、後に、当のギリアム本人が、当映画の配給における騒動を、監督側の言い分で書いた本「バトル・オブ・ブラジル」内で、全体主義や管理社会への批判といった皮肉をイギリスらしく、ブラックジョークを交えて描いたことがテーマであるのに、映画製作会社に迎合した編集にしたならば、そのテーマに意味や説得力が無くなると憤慨していたようです。これ、どっちもどっちっぽいんですけどね~。
 
 
~あらすじ~
とある未来の、とある都市。
すべての情報が《情報省》によって統括されている社会。
ワープロに一匹のハエが侵入したことで、テロ容疑リストの「タトル」が「バトル」に誤植されてしまい、一般市民のバトルが連行されてしまう。バトルの上の階に住む女性ジルは抗議するが、相手にされない。
 
情報省記録局に勤務するサム・ラウリーは、不祥事のもみ消しを求める仕事場、アンチエイジングに必死すぎる親親の持ってくる縁談に頭を痛め、コネで検束局に昇進させられそうになるのを拒んでいた。
 
そんなサムは最近になって夢を見ていた。
空飛ぶ勇者になって美女を助けるという奇妙な夢を。そして夢で見たのとそっくりな女性を見かける。それは情報省へ抗議に来ていたジルだった。
 
そんな折、サムの家のダクトが故障する。修理はセントラルサービスが行う法律だったが、勤務時間外なので来てくれない。そこへフリー(非合法)の修理屋を名乗る男が現れ、あっという間にダクトを直してしまう。その男こそ、当局からテロリストとして追われているタトル(ロバート・デ・ニーロ)だった。
(※ピクシブ百科事典より抜粋)
 
 
以下、ネタバレ。って言うか、感想。
 
 
□とりあえず、タイトルの「ブラジル」の意味。
当映画の都市名は一切出て来ない。とある都市でしかない。
 

 
じゃあ何故ブラジルかというと、劇中の挿入歌に使っているから。遠き国ブラジルに思いを馳せたのかもね。
 
 
□何とも言えない気色悪さが魅力なんだとか。合う?合わない?
それは、サムの夢。空想だったり妄想の世界。そこでの彼は、空を自在に飛び回り、美女と口づけを交わすヒーローだ。きしょいんだけど。自分の住む抑圧的な官僚主義世界から精神的に逃れて、自分は自由であるという手の込んだ空想に引きこもる。
 
 
人の心の中までは誰も侵すことが出来ない聖域だってこと。こうした白昼夢は、サムの思う平凡で、しばしば苛立たしく思っている現実とは対照に描かれてる。
 
 
□彼を取り巻く悪夢?のような現実のひとつ。アンチエイジングに必死過ぎる親。
 
 
弛んだ皮膚を伸ばした状態で縫い付けるんだって。2024年の現代でも糸リフトとかの整形方法があるから笑えないんじゃないかなって。劇中の整形仲間が会う度に合併症を起こしていたりするまで、あるあるっぽい。いつの時代でも人間ってそこまで変わらないのかなって思った。
 
 
親の持ってくる縁談に頭を痛めていたのは、実のところ、シャーリーじゃん?
これは私見だけど。サムの妄想の深まりと現実における乖離は、シャーリーとの交流の描写で説明が付く。
 
 
・(親には逆らえないので)イカれている振りをして、嫌われようとしてた。
・料理がまだなのに、サムに塩を渡そうとして、〝イカれっぷり〟を鮮やかに表現。
・サムが交際を断ろうとしているのを察し喜んでしまい、食い気味に言葉が出る。
 
サムは、夢の中で理想化されたジルのように、シャーリーは自分に好意を抱いていると妄想しているんだけど、現実は上に挙げたシャーリーの行動と、時折見せる、隠し切れていない、彼に対する不快だといった表情から考察するに、二人の交流の描写は彼の妄想を打ち破り、彼が真実であってほしいと願うことと、実際にそうでないことの間に緊張を産み出していて、そのダイナミズムは、主人公の理想主義的なビジョンがディストピア社会の厳しい現実によって打ち砕かれ続けるという当映画のより広いテーマを象徴しているもの。つまり、二人の交流は、彼の現実との断絶を際立たせるものであり、彼の願望には無関心、或いは敵対的な世界における逃避的な夢の虚しさをも強調するのだと思われる。
 
 
~総評~
結局、人によって合うか合わないか完全に分かれちゃう映画。全体的にあべこべ感があって目に楽しいと思った。どこかアナログと言うか、チープ感が漂っちゃうダクトを、都市中に張り巡らす構想って、現代の光ファイバーに置き換えられるし、人間の自由な発想は世界を牽引するんだよね。
 
 

結局、どんな映画?って聞かれても、ヘンな映画としか言えない…。

 
サムネイル