邦題:ミリオンダラー・ベイビー

84点。

 

仮にボクシングを全く知らなくても、輝かしい経歴を持つ俳優陣の熱の篭もった演技と、丁寧に過不足無く、劇中に落とし込んだストーリーでもって、観客に自然とそれを受け入れさせるスポーツドラマ映画。

 

そして、言及する必要があるか解りませんが、これは、家族に対する愛情を見せられなかった男と、家族から愛情を受けられなかった女の、師弟を超えた愛情を描く物語でもあります。

 

それは良いのですが、扱うテーマがセンシティブ過ぎて、後半に至っては観客の心をぎゅうぎゅうと締め付けて来るので、人によってはもう二度と見たくない映画となる様です。私はそのリアルさを感じる振り幅が好きですが、悲痛なお話が苦手であればこれも、名作の「ロッキー」をお勧めいたします。

 

 

~あらすじ~

ロサンゼルスの寂れたボクシングジムの門を叩いた田舎育ちのマギー。ジムのオーナー兼トレーナーのフランキーは彼女を拒んでいたが、彼女の真剣さに打たれ、彼女のトレーナーとなる。お互いに父娘の関係をなくしている2人は、激しいトレーニングの中で人間的に歩み寄っていく。

(※映画ドットコムより抜粋)

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、感想。

 

 

□ナレーションはエディの担当。

それは、ボクシングを知らないであろう人間に対しての物言いなのですが、誰に向けていたかは最後に解る様になっていて、劇中の描写からは予想させないように細やかに気を付けています。こんなところでプチどんでん返しを決めて来るとか、脚本家のしたり顔がチラつきますが、多分、誰も気にしていないパターンです。

 

 

□フランキーの問いに答える神父。

神父意味無いじゃんっていう感想を読んだので。

 

フランキーこそ、マギーの質問を許さないという矛盾があるのですが、そも、神父は問いに答える義務があります。フランキーの神父への問いは以下です。

 

・三位一体が示す意味は?

・精霊は?

・イエスは?つまり、半神半人?

 

この辺、キリスト教はカトリック教派の基本中の基本です。基礎が出来ていなければ長年続けても身に付きません。ボクシングと一緒。って言うか、このやり取りは世界的に見た時に当映画の評価を下げる様です。それでも、このシーンを必要としたのはこういったやり取りで起きた心の変化が、フランキーにマギーと対峙させる切っ掛けになったことを丁寧に説明しているものです。

 

神父に明日は休めと言われても、翌日にはフランキーが神父に

・マリアの無原罪懐胎の話を

神父がうんざりする理由は、彼に何を説いたとて、自分の考えを頑なに曲げずに理解しようとしないからです。

 

ここでエディの良く解る解説

「ボクサーは皆、頑固者だ。トレーナーに全面服従はしない。

間違ったことを信じ込んでいてーそれが自滅をまねくことでもー

それを最後まで信じ続けるのがボクサーだ。」

 

マギーはフランキーに月曜まで休めと言われても、耳に聞いただけで、彼女が練習を休まなかった描写を挟む事で、普通の人なら理解し難いことをボクサーはこういう人種だと簡単に説明しています。当のエディもフランキーがお金を渡したとて、新しい靴下なんか買わないのだから。

 

この神父、最後には聖職者の立場を捨て、友人としてフランキーに言葉を投げかけています。私は彼が教義に背いているとは思えません。世界のクリスチャンは何を問題としているの。私が神道だから解んないだけか。

 

 

□シルクの緑のガウンに書かれたゲール語 "Mo cushla" とは。

正しくは "Mo chuisle" 、フランキーは独学なので、英語圏の発音に倣って誤って覚えています。当映画のボクサーとは本当に不器用な人たちだこと。

 

 

□じゃあ何で殿堂に入れないんだってばよ。

先ず、マギー役が美人過ぎること。

次に、最後のキスを口にしたこと。雑味が出て美味しくない。そう言うのじゃない筈だから、子供を寝かす時に、おでこにする様なキスの方が綺麗でしょう。

 

そして、単純に点数が足りないから。って言うか、丁寧だということが全部が全部、評価に繋がるものでも無いのです。結果、132分の長尺になってしまったので、繰り返し見るのに向きません。折角の丁寧さも気付かれなければ意味を為しませんので、エディのナレーションが誰に向けられていたのかに関わる描写を全て、カットしてもそつが無いと思います。だって、そこは誰も気にしていないし、気付かなくても問題が無いところなので…。長いと集中力が…保たん…ぐぅ。

 

 

中の人の電池が切れたから、最後の一言は無いよ。

 
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