邦題:ロッキー

81点。

 

究極のとこは、ノれるか、ノれないかでしか無いけど、ボクシングを全く知らない人の方が、内気なエイドリアンが垢抜けて行くのと同じ様に、それを自然と受け入れていけるんじゃないかなって思っているスポーツドラマ映画。

 

ボクシングに詳しい人からすると、試合と言うよりはただの殴り合いって言うけど、そういうのは良いの。どうせ、私にプロのボクシングは解らないんだから。

って言うか、ホラー映画の劇中で、本当に人を切り裂いた映像を使った場合に貴方は評価を上げるのかと、私は問いたい。(そういう人も居るかも知れないけど)

そういうんじゃなくて、一般に受け入れられるボクシング映画を作り上げた制作陣を、私と共に讃えようじゃないか。

 

 

以下、ネタバレ。って言うか、感想。

 

 

全体的に物語のテンポはゆっくりめ、山をじりじりと登って行くかの如く、当映画の頂上はラストシーンに置いています。最終日のトレーニングで階段を登って、両腕を上げるところで七合目くらいでしょうか。

 

有名な生卵を飲むシーンとか「エイドリアーン!」がネタにされていることで、変な勘違いをされている映画だけど、何故、この梲が上がらない男を応援したくなるのかを考えた場合に、当映画はなかなか見ないレベルの緻密さで作り上げられていることが解りますので、その辺に触れます。

 

 

□オープニング〜クレジット終わり迄の描写が秀逸過ぎる。

始まりからの一連で、力を持て余らせるだけの若者たちと、そこから浮上する機会に恵まれない時代であると読ませて、ロッキーもそこの住人であることが映像で簡潔に説明される。

 

 

□ロッキーはクズと卑下する程にない。

ボクシングの収入は少なく、生きる為に取り立て屋なんてやっているけど、見せしめに指を折るなんてことはしない。お互いに口も素行も悪いけど、仲が良い親友も居るようだし、非行少女を自分みたくならない様に更生させたいお節介を焼く。つまり、取り巻く環境は悪くても、人間としては悪に染まっていないと言えます。ペットの亀と話をするロッキーが可愛く見えてしまったら、もう、魔法にかかっています。

 

 

□ロッキーとエイドリアンの恋。

私から見ても、ロッキー頑張るなあってレベルで、純粋に彼女が好きだと言うことが解ります。これ、エイドリアンが絶世の美女ではない(失礼ですけど)ところが凄く良くって、且つ、内気過ぎて喋ってもくれないなんて…ロッキー頑張れ!

 

 

□チャンスを掴んだロッキーに対する周りの反応。

私、子供の頃に観た時の感想と未だに変わっていないので、これで間違っていないと思うんですが、チャンスを掴んだロッキーにタカっていると言ってた人が居まして、確かに、お金にしようと思う人が少しくらい居ても、不思議では無いのでしょうけど(事実、ポーリーは協賛の形で旨味はあったと思われます。)純粋に皆がロッキーを応援してると思ったんですよね。だって、逆に考えたら、彼の足を引っ張ろうとする人は居ないので。きっと、皆が一緒の夢を見たいのだと解釈していますし、私は今後も考えを変えるつもりはありません。

 

 

□実際の試合でロッキーを応援出来るか否か。

ここが、当映画のテーマですから、冒頭で述べた様に穿った見方を(ごめんなさい。適切な言葉を思い付きませんでした。)してしまうと、途端につまらないことになるのは何となく、理解出来ます。

 

ここで、視聴者側にスイッチが入っていれば、あれだけ殴られても立っていられるのは、本人の意志も然る事乍ら、視聴者側も含む、皆の夢と希望を乗せ、エイドリアンとの愛までも力に変えているんだと思えたならば、最後まで倒れる訳が無いんです。

 

そして、お互いに最終ラウンドを戦い抜いた時、皮肉の様でもある、最大級の賛辞を送り合い、エイドリアンと熱く抱擁するに、私たちの頬に一筋の涙が流れたら、それはもう当映画の勝ちと言うことです。



未怜さんもロッキー・バルボアにノックアウト負けですって。

 
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