邦題:サンゲリア
66点。
 
監督はタイトルを "死者達の夜明け" としたかった様ですが、制作会社はロメロの
ゾンビ」の大ヒットを受けて便乗制作させた上でタイトルも "2" としました。
その意味では邦題の方が監督の意を汲んだものと言えます。
それはイタリア語の流血の意 "Sangue" と「サスペリア」の語感を併せた造語(諸説あります)。似た語感の某飲料会社は崇高な理念からの命名であり、当映画と無関係でいてはるかに先輩です。
 
前レビューで投稿「悪魔のいけにえ」の師の理論なら共に、当時のホラー初心者向けの入門編なゾンビ映画となりますけど…。
 
 
以下、感想文。
 
 
シェイクスピアの四大悲劇の一つ "マクベス" の一節にて
「きれいは汚い、汚いはきれい」とあります。平たく言えば
「物事には裏表がある」の意訳されたものと思われます。
綺麗と汚いは対義語で矛盾しているのに、解釈により成立する文章が私には面白いと感じます。身近なところで例を挙げますと、身体を綺麗に洗い過ぎると逆に肌が荒れるとかどうでしょうか。ちょっと違いますかね。
 
ルチオ・フルチ監督はこの点は振り切っていて
「恐怖映画における暴力は解放である」と常々考えていた様で、これは一貫して醜い物を徹底的に描くスタイルから、それこそ
「汚いはきれい」の芸術作品と呼ばれるまでになっています。
 
では、当の私がどう考えているかですけど、やっぱりイコールにはならないです。
つまり「綺麗は汚いを内包するものであるけど、汚いを前面に出すつもりは無い」のです。汚さをどこまで許容出来るかは人によると言うところでしょうか。
「物事には裏表がある」以上はそれを内包したバランスが大事であって、零か百には成り得ないのが人と言うもの。違いませんよね?
 
も一つ、臭いものに蓋をするのは当然に臭いからですが、ホラーが好きな私は一種のフェティシズム、むんむんに蒸れたブーツの中の臭いを嗅ぐ行為と何ら変わらないとも言えますが…これは流石に違うと思いたいです。
 
 

私がイメージするゾンビの原型はこれ。フルチ監督のゾンビです。

 
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