二人の僧が雨の降る日に川岸を歩いていました。すると、川の向こう岸に渡りたいけど、渡れなくて困っている若い女性がいました。ひとりの僧は女性を負ぶって向こう岸に渡らせてあげました。30分程歩いてから、もうひとりの僧が「おまえは修行の身でありながら、女人に触れて恥ずかしくはないのか?」と言いました。すると、その僧は「おまえは30分も前のことをまだ考えていたのか?私は、もうそんなことは何も考えていない。」と言いました。この川を渡した話から態度の違い、淡白さと好奇心という物差しで考察します。

ヨーガの教えは「二極の選択に惑わされない」ということです。

行動を起こした僧は、物事に執着せず、心のままに困っている女性を助け、恩義も好奇心もなく行動に移したのでしょう。淡々と粛々と後のことは考えずに。

もうひとりの僧は男女という観点、自分の立場などが脳裏に浮かび、行動に移せなかった。これは既に二極の選択に惑わされてしまったこと。要するに自分の中に下心が顔を覗かせてしまった。物のカタチに囚われてしまったのです。

もしや、これが少年だったら?もっと幼い女児だったら?ご老人だったら?どうしたでしょうか。若い女性というカタチに囚われてしまった。そして行動を起こした僧は移したことにより、過去のことだと完結させていますが、移せなかった僧は心を30分も前に置いてきたまま、今にはありません。

行動に移した方は先に進むことができますが、移せなかった方は囚われる。

した後悔は一瞬、しない後悔は一生。どちらを選ぶかは自由です。

する前に良く考えることが必要な行動も、もちろん沢山あります。

しかし、このように瞬時に行動に移せる心を普段から持てる様に、私達の心は責任を持ち、自由にコントロールできるのが理想だと言えるでしょう。

すると、チャンスをキャッチする力もついてきます。目の前にチャンスが来た時に、気づかずスルーしてしまったり、ほんのわずかの自尊心でつかみそこねてしまったりでは勿体無いですね。素直で淡白で欲がない人にこそ、チャンスの神様がおりてくるのだと思います。願うことは必要ですが、執着せず、手放した時に与えられるのですね。

今日は53歳の誕生日、初心に戻って感謝の心で今を大切に生きていきたいと思います