シルバーウィーク

なんか、年寄りウィークみたい。
土曜日 「しんぼる」を見る
日曜日 フォゲッタブルから総流し
月曜日 トランセンドとアロンダイトのワイド
火曜日 オナニー
水曜日 仕事
ふろーすれ1
5年前

なんかアメブロが5周年らしいですね。おめでとうございます。
5年前と言うと、私は10年以上働いていた会社がつぶれ、仕事を探していた時期ですね。
30歳過ぎてからの就職先は、なかなか見つかりませんでした。
資格なんてもんはただの飾りにしか過ぎませんでした。
実務経験こそがすべてでした。
とりあえず生きていかなければならないので、私は深夜のバイトを探しました。
そして、デリヘルのドライバーになりました。
他に仕事をしていなかったので早番(昼12時以降)になりました。
仕事自体はわりと楽しかったです。
ただ、「ずっとこのままなんだろうか」と言う不安はありました。
あれは日曜日の夕方4時過ぎでした。
いつものように女性をラブホテルへ送り、駐車場で待機してたところラジオから音楽が。
その曲に私はクギづけになりました。
ミン・オン・トゥイーのバラード 三浦久(1994年)
ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
しばらくの間 ぼくの話に
耳を傾けて欲しい
去年の春 ぼくは
信州大学に入学した
雪をかぶった日本アルプスが
とてもきれいだった
思い返せば昔のこと
ぼくはベルギーへ行った
化学兵器の研究のため
政府から派遣されて
来る日も来る日も没頭した
毒ガスや細菌の研究に
素早く効果的に人を殺す
化学兵器ををつくるために
ベルギーへ行って2年目の夏
遅ればせながら気がついた
政府はぼくが作る化学兵器を
国民に向けるだろうと
ぼくは何日も考えた
こんなふうに生きて行きたくないと
そしてついに決心した
国へもどることを
ぼくの父は元軍人で
政府の高官だったが
政府のやり方に嫌気がさし
密かに活動を始めていた
ぼくは政府の方針に逆らい
勝手に帰国したかどで
刑務所にぶち込まれ
毎日取調べを受けた
そのうち大規模な民衆運動がおこり
国は無政府状態におち入り
全ての政治犯は釈放された
ぼくもその中のひとりだった
このまま国に残ることは
あまりにも危険だった
ぼくは日本へ行くことを決め
東京の日本語学校に入った
その間に国の名前は
ビルマからミャンマーに変わり
軍事政権が樹立され
銃口を国民に向けた
ぼくには三人の弟がいたが
一番下の弟は
おととし反政府デモの最中に
撃ち殺された
それからひと月もたたないうちに
母は病に倒れ
悲しみのうちに息を引きとったと
父の手紙が伝えてきた
どうしたらいいかわからなかった
でも国へ帰ることはできなかった
死んだ母や弟を思い
辛い日々が続いた
日本語もかなりわかるようになったし
しばらく日本にいるのなら
日本の大学に入学して
勉強したいと思った
去年の春 静岡大学と
信州大学に合格した
どっちがいいか日本語学校の
先生に相談した
「君はミカンとりんごの
どっちが好きか」と彼はきいた
ぼくが「りんごです」と答えると
「じゃあ信州大学だ」と彼は言った
四月になり、学校が始まり
ぼくは松本へやってきた
山に囲まれた美しい町
心に平和がもどってきた
去年の6月 父と弟たちは
イギリスへ亡命した
ぼくは彼らに会うために
夏休み イギリスへ行った
彼らはバーミンガム郊外の
小さな家に住んでいた
かばいあい 身を寄せながら
ひっそりと生きていた
忘れもしない 8月3日
ぼくはひとりでドライブに出た
グラスゴーへ向かう田舎道
トラックに追突された
車が川に落ちる前に
ぼくはなんとか飛び降りた
薄れゆく意識の中で
走り去るトラックが見えた
気がついた時 ぼくは
病院のベッドに横たわっていた
大腿部骨折 頭部打撲
全治3ヶ月だった
父と弟たちが知らせを受けて
あわてて病院へかけつけた
父はぼくの手を握りしめ
「しっかりしろよ」と言い続けた
彼らはその晩もどって行ったが
決して家にはたどりつかなかった
車に仕掛けられた爆弾が
彼らを吹き飛ばした
一年足らずの間にぼくは
家族をみんな失った
なぜ父が母が弟たちが
殺されなければならなかったのか
ぼくにはどうしてもわからない
なぜ人と人が殺し合うのか
多くの生命が失われた
主義や正義のために
ベトナム アフガニスタン カンボジヤ
南京 アウシュヴィッツ クロアチア
多くの生命が失われた
主義や正義のために
りんごが赤く色づく頃
ぼくは松本へもどってきた
日本アルプスはまた雪をかぶり
空は透きとおるように青かった
最後にひと言 日本政府に
言っておきたいことがある
ミャンマーの軍事政権は
日本のODAが支えていることを
ぼくの名前はミン・オン・トゥイー
ミャンマーからの留学生
ありがとう ぼくの話を
最後まで聞いてくれて
この詞は実話だそうです。
実在のミン・オン・トゥイーさんは、祖国で2001年に病気で亡くなられたそうです。
この曲を聴いて、「あー、世の中にはこんな人もいるんだから、俺も頑張らないとな。」と決心しました。
で、現在メイド服や純白のドレスを着て悦に入ってます。
ふろーすれ1
築地場外 鈴木水産
日比谷線築地駅から市場に向かい入り口から入らず左へ。
晴海通り沿いに有ります。
これは他のサイトからの無断転載です。
メニューはうに定食1000円
箱1個の生うにとマグロ中落ち、マグロ煮物。
刺身定食1000円
他に煮魚定食700円から(これも美味しい)。ライス大盛無料です。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1313/A131301/13014820/
アルティマトゥーレ
昨日勝ったキャプテントゥーレの姉ですかね。
この馬は3B、キャプテンは2Bだったかな。
次走スプリンターズSで外枠なら買います。内枠なら様子見る
本番の軸はスリープレスナイトかな?
ふろーすれ1
プレミアムモルツ

うまいよねえ。プレミアムモルツ。
口に入れる瞬間の香りから明らかに違う飲み物。
今はほとんどこればっかです。
これに比べたらドライは水。最近麦芽100%になった一番搾りでさえも凡庸。ヱビスですら。
それぞれ単品で飲んだら旨いけどね。飲み比べるともうね。
最近は居酒屋のビールがアサヒだとがっかりするなあ。
ちょっと前にPRONTO→王将→居酒屋2軒ハシゴしたけど、プロントがプレミアムモルツでウマー、王将は餃子屋だからそんなにビールに頓着せずドライでOK。でもその後2軒の居酒屋もドライ。つまらんのう。
昨日はサッポロクラシックを飲みました。北海道限定で、以前北海道帰りに1ケース勝って帰った事があります。
コンビニに有ったので久々に飲みましたがうまかったです。まあ1杯目は何飲んでもうまいけど。
最近出たホップ2倍の発泡酒も悪くなかったですよ。第3のビールのクリアアサヒもたまに飲みます。
秋限定ビールの秋味はうまくないなあ。アルコール味が強いんだよね。
今はウチに梅酒しかないから水割りで飲むかな。
ふろーすれ1
- ¥4,980
- 北酒房 梅谷
ガイドライン
職場の他の部署に行ったら、「こういうのはセクハラになります」って紙が張ってました。
「まだ結婚しないの?」とか「彼氏いないの?」とかがそうらしいです。
ブルーチーズを説明するのに「オリモノ多い時にパンツ脱いだ時のモワンとした感じ」とか
ディズニーランド近くのホテルのパンフレット見てる20歳女子に「キーっ、この娘はSEXの事しか考えてないざますっ!!」とか
男7人女4人で旅行に行くと聞いて「キーっ、乱交ざます!! 大麻パーティーざます!!」(まだノリピーが捕まる前)
「私も入れるざます!! 男8女4でちょうどいい配分ざます!! 女1人で2人の男を担当ざます!!」
とか言ってる俺って・・・
まあ、やめないけど。
ふろーすれ1
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