ヲタの姿(改訂) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 星の輝きにはふたつの種類がある。ひとつは自ら輝くもの、またひとつは反射して輝くもの。アイドルは人々の願いを反射することで輝くものだった。

 いつしか、そのポジションは二次元に奪われてしまった。アニヲタはエヴァを作った。あそこには庵野さん自身が描きこまれている。他にもマンガやアニメ、ラノベ、なんでも良い、ひと目見ればそこにはヲタの姿が描きこまれている。時には残酷に、時には滑稽に。自分自身の問題が描きこまれていると思うからこそ、ヲタは真剣に向き合う。本気で怒り、悲しみ、そして夢を見る。
 

 翻って、今の48を見たって、ヲタの姿なんかどこにもない。プレイヤーが女性であることは関係ない。そんなことを言えば、エヴァの声優だって(シンジくん含めて)女性だ。

 

 「スタッフが叱ってくれるからヲタは褒めるだけして」という考えが木を見て森を見ないものに聞こえるのは、アイドルのステージはアイドルだけでは完結しないということを忘れているように聞こえるからだ。ヲタは共同作業者であって、単なる享受者では無かった筈だ。それが説教がどうとか低レベルの話に堕してしまうようになったのはヲタ自身の責任もあるだろう。

 可能性はあった筈だ。コールやミックス、総選挙、僕らがこの文化に描き込めるだけの余白は常にどこかに転がっていた。それをもっと発展させることだって出来た筈なのだ。もっとフレキシブルなライブを目指しても良かったし、僕ら自身が運営を買い取ってしまってもよかった。そうなったら本当の民主主義が生まれた筈なのに。

 でも、現実はそうはならなかった。ここにあったのは偽りの民主主義。密室でなされる決断。「クリエイター」たちのエリート主義によって、僕らの居場所はどんどんと失われていった。無批判に受け入れられる個人主義の荒波の中で、僕らがこの文化に書き込める余白は消えていった。その水面に映るのは無制限に膨れたアイドルの自我だけだ。もうヲタの姿はどこにもない。

 願いを反射する機能を喪失し、行き場をなくしたアイドルは実力主義へと遷移する。言い換えればそれは、自らが輝く道だ。でも、その先に道がないことはすでに見えている。歌唱、ダンス、演技。どこまで行っても、アイドルはそれら専門家の二軍でしかない。時には一軍に上がる奴がいても、それは個人として上がるだけであって、アイドルが下というヒエラルキー自体は変わることはない。肯定だけを求める二軍選手なんてどこに需要がある?

 僕らは何かを作るべきだったのだ。アイドルという価値が最大の価値であるものを、誰にも文句を言わせない僕ら自身の秩序を。単に可愛いとかステレオタイプの「アイドルらしさ」とは違う。真の意味での価値観をこの文化に描きこむべきだったのだ。ヲタ以上にそれを知っている奴がどこに居る?

 

 アニメを実写の二軍と考える奴はいない。たとえ社会が変革されようが、そんなことは星の運行には何ら関係ない。そういうように作るべきだったのだ。