作家不在のAKB | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 昨年、秋元康に遭遇した。

 ヨーロッパ企画の舞台『ギョエー! 旧校舎の77不思議』。遠目に見つけたけれど、本当に本人かは自信が持てなかった。先日、「佐久間宣行のオールナイトニッポン」に上田誠さん(ヨーロッパ企画主宰)がゲストで来て、その話をしていた。

 なんでも秋元さんはいたく気に入ったらしく、幕間に物販に行きDVDを全部(!)買っていったそうだ。僕はその話を聞いて嬉しかったのと同時に、妙に納得もした。「秋元さんはやっぱり何が面白いかを分かっている人だ」。そう感じた。ここで言う「分かっている」は、ツボが自分と近いという程度の意味だけれど。

 かつて、彼はAKB48をリナックスのようなオープンソースとして考えていると言った。実際、DMM、google(ぐぐたす)、755、SR、docomo(新体感ライブ)、ソフトバンク(VR)…多くの企業がAKBに群がってきた。それが必ずしも悪いことだとは思わない。DMMやSRはいまの48にはなくてはならない配信ツールになっている。

 でも、いくらツールがあっても中身が面白くなければ人には響かない。面白いことをやるから人が集まるのであって、人を集めたからといって面白くなるわけではない。

 「AKBINGO」が終わろうが、「48SHOW」が終わろうが、僕は大丈夫だと思っていた。AKBには劇場があるし、いまはYouTubeでもSRでもDMMでも自分たちで番組を作ることができる。でも、作家がいなければ始まらない。優れた作家がいなければ何も面白くはならないんだ。

 秋元康ははるか以前にAKBに対する興味を失ってしまった。今回、YouTube配信や劇場企画を見ていて思ったのは、全体の作家としての秋元康のみならず、各企画ごとの作家さえも今のAKBには居ないということ。行き当りばったりでどこかで見たような企画をして、それでお茶を濁すだけ。

 特に今回のダンス対決はひどかった。別にダンス対決自体が悪いわけじゃない。時間がなかったのも分かる。でも、ダンス対決をどう調理すれば面白くなるか、誰も分かっちゃいなかった。自分たちが楽しければ人も楽しんでくれる。それはアイドルの傲慢だ。

 いまのAKBの問題は、人が何を面白いと思うか誰も分かっていないこと。公演以外に人を楽しませるアイデアとメソッドを持っていないこと。それは端的に言って、作家の不在と言い換えても良い。

 

 僕は、無名でもいいから才能と野心のあるクリエイター(公演を書ける人ならなお良い)に来てもらうか、さもなければもうメンバー自身が作家になってしまうしかないと思う(そのためには、ちゃんと面白いものを知り、それの何が面白いかという本質を理解する必要があるけれど)。

 ヨーロッパ企画では役者自身がみなクリエイターだ。かつてオーディションをやった際には自らの制作した作品を持ってきてもらったらしい。実際、この時採用された角田(貴志)さんはイラストレーターとしても活動し、のちには劇場版『すみっコぐらし』の脚本も手掛けている。さかのぼれば初期からの劇団員である松田(青子)さんは退団後に作家デビューし、三島由紀夫賞や野間文芸新人賞にもノミネートされた。

 『来てけつかるべき新世界』で岸田國士戯曲賞(演劇界における芥川賞)を受賞した上田誠はたしかに天才なのだけれど、でも彼ひとりで劇を作っているわけじゃない。エチュードをしながら作り上げていくのがヨーロッパ企画の作劇だ。一人ひとりがクリエイターであることで、作家が刺激されるという側面は確実にあるだろう。だからこそ、ヨーロッパ企画の芝居はいつも面白い。

 秋元康はなぜAKBに興味を失ってしまったか? そんなの、わかりきっているでしょ。