トイ・ストーリー4
TOY STORY 4
監督:ジョシュ・クーリー
概要
人間とおもちゃの物語を描き大ヒットした『トイ・ストーリー』シリーズ第4弾。外の世界へ飛び出したおもちゃのフォーキーとウッディたちの冒険を描く。『インサイド・ヘッド』の脚本に参加したジョシュ・クーリーが監督を務め、吹替版のボイスキャストはウッディ役の唐沢寿明をはじめ、所ジョージ、日下由美、辻萬長らが続投する。(シネマトゥデイより)
感想(結末についての若干のネタバレを含みます)
僕の中では、「3」で…と言うか「3」が終わらせてしまった「トイ・ストーリー」。いまさら何を語るのか。
冒頭、懐かしの面々。ややテンションが上がる。グローバル・イルミネーションの威力。あまりに自然な背景。それでも何だろうな…かつての「トイ・ストーリー」(1,2)にはあった「オモチャが動いたら面白くない?」みたいな原初的な衝動は失われている気がした。
動くのが当たり前になってしまったオモチャたち。それはあまりにも人間らしくて、もはやオモチャであることの意味も失われている。僕は、オモチャたちにも、彼らの勝手な行動にも感情移入することが出来ず、次から次へと起こる(起こす)トラブルにもゲンナリしてしまった。
オモチャたちが勝手に自らの主人を替えようとするのも変だと思う。そりゃ人間だったら自由に最大の価値が置かれるのは分かるけどさ。そもそも誰かに所有されるなんて、人間だったら奴隷でしかないし。
だけど、オモチャというのはそもそも誰かに所有されるため(そうして遊ばれるため)にこの世に生み出されるもの。そして正当な対価を払った(あるいは譲られた)誰かのものになる。ウッディだって、そうしてアンディやボニーのものになった。所有の原理がなきゃ、オモチャはそもそもこの世に生まれてさえいないんだ。
そこを否定してしまったら…オモチャが勝手に抜け出して他の誰かのものになってしまうなら、それはオモチャ自体の存在意義の否定につながる。だってオモチャたちが勝手に主人を選ぶなら、そして誰もそのための対価を支払わないのなら、いったい誰がオモチャを作るの?(ボニーの作ったゴミみたいなオモチャは別として)
そこは、この物語が根本的に抱えている矛盾なんだ。オモチャが人間に近づけば近づくほどその矛盾は大きくなる。
だからこそ、ラストの落ちは…これまでのテーブルをすべてひっくり返してしまった感じ。ああいう展開にせざるを得ないというのも理解出来なくはない(そりゃ今のディズニーだったら、生まれついての宿命[黒人/ヒスパニック/女性…あるいはオモチャであること]から解放される話にするに決まってるさ!)けれど、「トイ・ストーリー」をこういうオチにせざるを得なかった時点でこの映画はすでに負けていると僕は思う。
さらに現実世界に目を向ければ、このオチがポスト・ラセターという問題につながっているのも分かる。けれど、「継承」というテーマは「カーズ3」でもやったこと。それいつまで引っ張るのって。なんだか、ピクサーは大事なものを失ってしまったように思う。ここには子どもがいない…ここには遊び心がない。これは頭でっかちの大人たちが作った物語だ。
☆☆☆(3.0)
P.S.
ひとつ褒めるとすれば、吹き替え版の出来がそれなりに良かったこと。劇中歌を担当したダイアモンド☆ユカイさんの少し懐かしい感じの歌声はこの作品の世界観に合っていた。