AKBの話をしよう(PRODUCE48その5) | 想像上のLand's berry

想像上のLand's berry

言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


AKBの話をしよう(PRODUCE48その5)

 不公平さがドラマを生む…というのは、その後の回でも見られた。ボーカル&ラップ組とダンス組とに分かれてパフォーマンス披露をした回でも、「あまりもの」組が作られたのだけれど、それは前回と同じような話だから割愛しよう。

 この回では、とりわけボーカル組に不公平さが見られた。なぜなら、ボーカル組は、ダンス組とは違ってメインボーカル以外はほとんど目立たないからだ。じっさい、上位に入った候補生はほとんどがメインボーカルだった(少数編成の組をのぞく)。

 だから、ボーカル組の本当の勝負はパフォーマンス当日ではなく…むしろレッスン開始前のメインボーカル決めの段階にあった。そこで手を挙げられないやつは、もうノーチャンス。目立つ機会がない。

 たぶん…多くの48候補生は、そのことを分かってなかったんじゃないかと思う。単に自信がなかったからか…。言葉の問題か…。あるいは、謙虚を美徳とする国民性ゆえか…。はたまた、ファンから嫌われることを回避しようとする習性が身に付いているからか…。いずれにせよ、手を挙げた子はほとんどいなかった。

 その結果、ボーカル組のパフォーマンスでは日本人はあまり目立てず、自己主張の強い韓国人候補生の独壇場となった。逆にダンス組では1位2位を日本人が独占(村瀬さえぴぃ/白間みるるん)。彼女たちも別に手を挙げたわけではなかったけれど、ダンスであればセンター以外も目立つことが出来る。

 ボーカル組の日本人候補生の多くは…単に現場投票の評価を受けられなかっただけじゃなく、番組のなかでもほとんど空気だった。映し出されるのは、韓国人候補生たちのセンター争いのドラマばかり。手を挙げなきゃドラマは生まれない。どれだけ下手でも、どれだけ自信がなくても、手を挙げなきゃドラマは生まれない。ドラマがなければ、映す価値もない。だって、これは娯楽番組だから。

(追記:ただこれは結局、人気投票で決まるから…どう転ぶかは正直読めんところもある。積極性がガツガツと取られてマイナスに映ることもあれば、消極性が奥ゆかしさと取られて好印象を与える場合もあるだろう。少なくとも日本ではね。韓国ではその辺がどう取られるのだろうな…)

 巷では、『PRODUCE48』の編集を「悪意の編集」と呼んでいるらしい。たしかに、明らかに偏った編集だとぼくも思う(…なーみんをもっと映せ~!←)。ただ…単に恣意的な編集かと言えばそんなことはなくて。編集のこの不公平さも、ドラマ性を狙ったゆえのものだと僕には思える。

 ドラマがあれば、そこには(たぶん)必ずこの番組は食いつく。逆に言えば…みずからドラマを作り出せば、それはきっと拾ってもらえる。たとえば、この回でふたたび苦手なラップを選択しに行って、苦戦しつつも物にしたカン・ヘウォンのように…↓。そういう子が、ここからは勝っていくのかも知れない。

 そして、ある一定の順位に入らなければ次の週には去らなければならないという緊張感が、このドラマ性をさらに強調する(次回なーみん残れるかな…)。

つづく



ボーカル&ラップ組



ダンス組