僕はイワナ2(ゆいりー) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「ぼくが彼女を推す理由」

 久々のAKB劇場。「レッツゴー研究生」公演。

 …ひとりだけ…とっても見覚えのある…馴染みのある顔がそこに居た。

 ゆいりー。

 この公演のプロデュースを務める彼女は、いわばプレイングマネージャー(選手兼監督)みたいな形でこの公演に出演していた。驚いたのは、まったく違和感がなかったこと。ベテランがサポートする研究生公演はあっても、あんな風に自然と研究生公演に溶け込んでしまえる子は、あまり記憶にない。もちろん、自分が作った公演だからという理由もあるのだろうけれど、ぼくはそれ以上に別の理由を感じた。

 遥か以前(2013年)…このブログで書いたことがある。

 AKBに居ると徐々に「タレント臭」みたいなものが染み付いていって、やがて制服衣装もパロディ…コスプレにしか見えなくなる…けれど、ゆいりーだけは何故だか妙に制服姿が「リアル」に見える。だから、ゆいりーには何ものにも染まらない特別な力があるんじゃないか…

 今になって振り返ると、あれは結構的を射ていたように思う。あれから5年。総選挙に出馬せず、公演中心の独自路線で地歩を固め、AKB選抜にまでたどり着いたゆいりー…。あの「何ものにも染まらない力」は、そんなところでも発揮されていた。

 ぼく自身は、総選挙は絶対に否定したくないから、必ずしもゆいりーと考え方が一致するわけじゃない。でも、ゆいりーが総選挙に出馬しなかったことは、今の僕には少しだけ意味がある。

 かつて、ゆいりーが総選挙に出馬していた頃、ぼくは彼女にも投票していた。D.D.だった頃の話。ところが、ここ数年は「単推し」化して、たったひとりに票を集中させていた。他の子はいわば見捨ててきたんだ。荒井ちゃんにしても、おぎゆかにしてもそう…だから、ぼくの中にはどこか彼女たちに対する後ろめたさがある。そもそも総選挙に出ていないゆいりーに対してはそういう「後ろめたさ」がない。

 それはきっと、居心地の問題に関わる。

 「推し」というのは、単に「好き」というだけじゃなくて心の居場所の問題だと僕は思う。たとえば魚(ヲタ)と水(推し)の関係みたいなね。

 淡水がいいのか塩水がいいのか…透き通っていた方がいいのか、ある程度濁っていた方がいいのか…水質の合う合わないはあるし、水質が変わってしまったら、もうそこには棲めなくなってしまう。環境の変化に強い魚もいるだろうけれど、弱い魚もいる(トイ・ストーリー2のジェシーが本当に悲劇的なのは、持ち主が成長して変わってしまうことじゃなく、自分は変われないってことにあるんだと思う)。なかには、ひとりで勝手に「後ろめたさ」を感じて、居心地を悪く感じる魚もいるだろう。

 色々あって、今は何となくゆいりーのところに居るのがいちばん居心地がいい気がしている。

 彼女がプロデュースした「レッツゴー研究生」公演は素晴らしかった。研究生ならではの「はつらつさ」とか「一生懸命さ」を前面に押し出した構成もさることながら、終盤のエモーショナルな展開が本当に好きだ。「抱きつこうか」の16期コール、そこからの「High school days」の流れは、もう完璧で、「そうそう…そうだよね!」って感じだし、なによりMC前に入っている「ずっとずっと」が…

 あの曲はぼくにとっては少し特別で…かつてみぃを推していた頃、リクアワでは推しとか関係なく毎回「ずっとずっと」に入れていた。それくらい好きな曲だし…なんだろうな…いつの頃からか握手会の部数でしか売上が語られなくなった48だけれど、でもいい曲だっていっぱいあるんだって、だからぼくは好きなんだって、そういうことを象徴するような曲で。

 この公演でこの曲が流れてきた時、「ああ…見てきたものが同じだ…」という感覚が生まれた。それは、なにかとても大事なことのように思えて…。このまま本当に「推し」になるのかどうかはまだわからないけれど、とりあえず今はゆいりーのところに居ようと思う。

 ただ、ゆいりーを「推す」ってどうすれば良いんだろう? 握手会には行かない分、総選挙とか投票ごとでは頑張るというのがぼくの「推し」スタイルなんだけれど…ゆいりー総選挙出ないし。「AiKaBu」の推しメン設定なんかはもともとゆいりーになってるし…

 だから、彼女がもっとも大事にしている場所…公演をできるだけ見に行こうと思う。秋葉だったらいつでも行ける。

 そうだ、ゆいりーに会いに行こう。