結局薬局、郵便局。
「岡崎京子サイコーだな!」って。そういう結論になりました。まあ、「結局薬局」とか書いているのその影響だし(≧∀≦)ノ
最初に『リバーズ・エッジ』を読んだ時には、分かるけれど「最終的なところでちょっと違う」って感じだった。でも、その後、他の作品を読み、その言葉を聞いているうちに、なんだか、岡崎京子という存在が「分かった」感じがした。それは、「理解した」と言いたいわけじゃなくて。
なんだろうな…いしかわじゅんさんが「岡崎京子っていう存在自体が面白い」って言っているのだけれど、ぼくも似たような感じで、岡崎さんの描く/書くことなら、なんでもOKになってしまったというか…
たとえば、宮崎さんや庵野さんや手塚さん辺りにも似た感覚を抱くのだけれど、作家自身を全人格的に受け容れてしまって、批判力が働かなくなるというか。この人の描くことなら、なにを描いてもそれでOKだっていう。作品の出来とか何とか以前に、その人が描いているだけで価値があるって、そう思えるような。
そんな感じ。
絵は手抜きっぽいし、他の作家からのサンプリングはこれでもかってくらいあるし、作品の出来もバラバラなんだけれど、それらすべてが「岡崎京子」って感じなんだ。どれもこれも「ああ…岡崎京子だなあ」って。それだけでぼくはOKなんだ。
『リバーズ・エッジ』辺りの殺伐とした後期作品もさることながら、とくに好きなのは90年前後に描かれた作品かな…頭空っぽな感じのが好き。将来なんて考えてなくて、世界の終わりなんてのもこないのも分かってて、それでも生きていかなきゃならんくて。頭からっぽじゃなきゃやってらんなくて。そういうのを、しみったれた言葉ひとつ使わずに、カラッカラに描いていく。
『ハッピィ・ハウス』で、家族みんなが家を出て行っちゃったあと、お金を稼ぐために自宅でラブホ経営をはじめちゃう「るみ子」とかさ…ああいうのも凄い好きだし↓

『東京ガールズブラボー』。北海道から上京、転校初日にモヒカンにして、怒られて坊主にされたサカエ。「ショーワショキの若奥様をイメージして」とか言って、割烹着姿におかっぱのカツラつけてお使いに行く。ああ…サイコーかよ。初期少女マンガのスタイル画を模して、「サカエのお買い物スタイル」とかしてあるのもサイコーだったし↓

そのあと、「やっぱライブ行きたい!」ってなって、駅のホームで待ってる時のセリフ。「そいであたしは トーキョーで はじめて自分一人で ネギもって電車のって」…ああ、なんだそのセリフは…「トーキョーではじめて 自分一人で電車のって」って平凡なセリフに、「ネギもって」って一言が加わるだけで、これだけ味わい深いものに…ああダメだ、説明しようとすると陳腐になってしまう。とにかくこのセリフがサイコーなんだ。

割烹着でネギもって電車のって、それでライブハウスに行くってのがもうサイコーなんだ。
とにかくとにかく、岡崎京子はサイコーなんだ。