泥棒役者(3.5) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

 
泥棒役者
 
監督:西田征史
 
概要
 『怪物くん』シリーズなどの脚本や『小野寺の弟・小野寺の姉』などで監督を務めた西田征史が、作・演出を担当した舞台を自ら映画化。盗みに入った豪邸で出会う人から豪邸の主人、絵本作家、編集者と間違われた泥棒が、素性を隠すためそれぞれのキャラクターに成り切ろうとするさまを描く。西田の作・演出による2012年の舞台「BOB」でもタッグを組んだ、関ジャニ∞の丸山隆平が主演を務める。(シネマトゥデイより)
 
感想
 かつて上演され、WOWOWでも放送された2006年の舞台『泥棒役者』をどれだけの人が見て知っているだろうか。
 
 ぼくにとって、この名は特別な響きをもつ。
 
 作・演出は西田征史さん。かつて小林賢太郎さんの舞台に出演していた彼はのちに大成し、アニメ『TIGER & BUNNY』、NHKの朝ドラ『とと姉ちゃん』などの脚本も手掛けるようになった。出演者には、ぼくの原点ともいえるCITY BOYSのきたろうさん、そして、そのCITY BOYSからの影響を公言するラーメンズ片桐仁さん、さらには福田雄一作品をはじめとして、いまや超売れっ子となったムロツヨシくん、そして、当時ぼくがお気に入りだった若手女優の上野なつひさん。いま見ても惚れ惚れするキャスト。
 
 この舞台は特別だった。録画したものを何度、見返したかわからない。よく練られたプロット、クライマックスですべてがひっくり返る手際の鮮やかさ。そして、出演者たちの芸達者ぶり。シリアスなシーンでの、きたろうさんのアドリブ「ドレミファそう」(脚本上ではおそらく「そう…」という頷きだけ)、そこからの「突然…だったよ…」という哀しみに満ちたセリフの言い回しの見事さ。いまでも忘れられない。
 
 さて…ぼくがこういう振りをするということは…まあ、そういうことで。
 
 なによりの問題は主人公。う~ん、正直ジャニーズと聞いて、イヤな予感はした。別にジャニーズをすべて否定するわけじゃない。井ノ原さんがヨーロッパ企画と組んだ舞台はそれなりに面白かったし、(前から書いているように)岡田准一さんや中島健人くんは評価している。キムタクだって、言われているほど下手ってわけじゃないと思う。『ハウル』の芝居だってぼくは嫌いじゃなかった。『武士の一分』の芝居は…まあ、微妙だったけれど。
 
 ただ…今回の役は、もともと片桐さんがやっていた役なのよ? ジャニーズに振る役じゃないでしょうよ。その上、主演を努めた彼は、下手…ってわけじゃないけれど…別に上手いってわけでもない。役者陣の好演が見所の舞台だっただけに、その落差は目立つ。はっきり言って、役者としては明確に存在感が「弱い」と思う。
 
 役柄の性格も変更されている。舞台版はそこまで「泥棒」に否定的なわけじゃなかった…というか、その辺はわりとサラッと流されていた。さすがにそれでは倫理的にマズいと思ったのか、あるいはアイドルにその役はマズいと思ったのか、映画版では、なんと言うか…「良い奴」に変更されている。
 
 この変更は作品の印象そのものを変えている。つまり、舞台版は自らの意志で泥棒をしているように見えるのに、この映画版では「のりおさん」に脅されて仕方なくやっていることになっている。なんてつまんねえ設定だろう。この変更は、主人公の能動性を奪うと同時に、「のりおさん」を悪者にしてしまっている点で二重に改悪だ。「のりおさん」、良いキャラだったのに…。あの関係性好きだったのに。誰かを悪者にして自分は良い者になる脚本なんざ、僕はク○だと思う。
 
 その上、この脚本はキレもなくなっている。舞台版では、童話のタイトルの意味が明らかになることで、それまでうまくいっていなかったことがすべて、だ~っとドミノ倒しのようにして良い方向に変わっていく。その転換が見事だった。これ、主人公を「良い奴」にしたことで余計な物語が加わり、一点に集中していたフォーカスがブレてしまってる。最後の高畑充希さんのくだりとか、あれ全部要らないでしょ。
 
 主人公を良い奴にしてしまったことで、そのエクスキューズのために、余計なものをたっくさんくっつけている。それが、元の脚本のシンプルな強靭さを損ねている。主人公を良い奴にしてしまったことで、彼が利他的に動き始めることで物語そのものが大きく展開していくという作劇上のダイナミズムも損なわれている。もし仮にそれが、ジャニーズをキャスティングしたがゆえの改変であるならば、ぼくはこのキャスティングを憎む。
 
 市村正親さんはもちろん名優だ。言うまでもない。でも、たとえ同じセリフを言うんでも、きたろうさんのあの底知れないようなとぼけた味は出ていない。違っていて当たり前っちゃ当たり前なのだけれど、元の脚本はキャストを念頭に書かれた=当て書きだったと思うから、このズレは作品そのものに対するズレにもなっている。 
 
 ユースケ・サンタマリア…ぼくの大好きなユースケ。『小野寺』の舞台版にも出ていたユースケ。ただ、ここがいちばん差を感じた。あれこそ、ムロツヨシにしか出来ない役だったと思うのね。ムロくんのあの一方通行の感じ。あれがまさにセールスマン轟の本質で、あの感じがユースケだと出ない。設定とズレが生じていた。そのせいか、轟の最後のセリフも微妙に変えられてたよね…あそこ好きだったのに。笑えたのに。
 
 石橋杏奈さんは良いとは思うけれど…やっぱり「良い人」になってしまっていた。上野なつひさん演じる元キャラは、裏表があって、性格がキツくて、童話にも興味がない…キャリアップの踏み台くらいにしか感じていない…そんなキャラクターだった。そんな彼女が、最後に協力しようとするからこそ、ほんわかと心に沁みた。
 
 なんだろうな…毒気を抜いたことで、そういう、ほんわかしたような部分、心に染み入るような部分もすべて消え失せてしまった。甘っちょろいオブラードに包み、毒にも薬にもならなくなった作品を見せられる虚しさ。隣家の苦情魔として登場する片桐さんの配役も、その虚しさを増幅させていた。
 
☆☆☆★(3.5)