『誰も語らなかったジブリを語ろう』

ふ~ん…押井さんは自分で作品を作れるんだから、批判したいなら作品でやってよ…というのは、正直、『実写版パトレイバー』を見た時点で諦めた(←)けれど…この本を読んでなんか悲しくなった。
これ、まずなにがダメってインタビュアーの映画評論家氏がダメだ。これまで『トトロ』も、『ナウシカ』も見たことない(今回のためにはじめて見た)…って。は? それでジブリ本を出そうって?
この映画評論家氏に関しては、映画の「読み」としてもどうなの? というところがある。たとえば、『もののけ姫』。「アシタカって自分の村に帰らなきゃいけないですよね。みんなが待ってますよ。なぜタタラ場に残るんですか?」と疑問を呈しているのだけれど…
…え? それマジで言ってんの?って。
「みんな待ってます」って、いや、たしかにカヤと名残りを惜しむシーンはあったけれど、そこに引っ張られ過ぎ。アシタカは、要は「祟り」にあったことで、村から「追放」されたんだ。映画のラストまで行っても、「祟り」が消えるわけではない(アシタカの手には痣が残っている)から、戻れるわけないんだよね。
これ、映画を見ていれば分かると僕は思うけれど、劇中で明言されていないから、「分からない」って人がいてもそれはそれで仕方がない。でも、宮崎さんはインタビューなどではっきりと、あれは「追放」されたんだって明言しているわけで。この映画評論家氏はそれすら知らないんだよ。
押井さんは結局、押井さんだから、いつもの調子で悪口を並べ立てる。それは別に良いんだ。押井さんだから。持ち芸みたいなもんで(≧∀≦)ノ でも、それだけだったらいつもの押井節にすぎないわけで。そこで、「いや、それはこうじゃない?」みたいな反論があれば、議論が進んで面白いのに。この映画評論家氏そもそも何も知らないから、議論できないんだ。
この本で押井さんが散々主張するのが「ジブリはこれまで批判に晒されてこなかった」ということ。いや…それはウソだ。出来の良し悪しはともかく、宮崎さんに批判的な書籍だって出ているし、宮崎映画の物語構造に疑問を呈した評論も普通に耳にする(だから、押井さんの言っていることに特に目新しさはない)。ネット上ではそれこそ毀誉褒貶の嵐だよ。押井さんは単に、それらを知らないだけ。自分だけが宮崎さんを批判しているんだと思いこんでいる。まるでドン・キホーテだ。
※それこそ『ジブリの教科書』でさえも、森見登美彦さんが「この映画の後半から始まった破壊は『ハウルの動く城』へと続き、以降の宮崎作品は分かりやすい着地を選ばなくなった。イメージを犠牲にしてまで起承転結をととのえたり、分かりやすく説明することはなくなった」*と書いている。
*『ジブリの教科書 千と千尋の神隠し』
押井さんのなかでは時間が止まっている。世間のことに目を向けず、自分の頭のなかだけの空想の世界に生きている。そして、そんな空想を垂れ流せるのは「何も知らない」Yes Manに対してのみだ。気持ちは分かるよ。ぼくも似たようなところがあるから。でも、議論がないところに進歩はない。押井さんが時代から外れていったのも、結局そういうことだったのかな…と、穿った見方かもしれないけれど、この本を読んでそう思った。
この本で明らかになっているのは、ジブリの内実よりもなによりも、押井守その人なんじゃないかな…。