覚めない夢 | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


「覚めない夢」

 宮沢賢治は、「世界全体が幸福にならない内は個人の幸福はあり得ない」と書いた。
 
 その宮沢賢治に、「あの人は偉い人です」と傾倒するのは宮﨑駿だ。ただ、宮﨑はその一方で、「やっぱり聖人君子としては生きられない、だから、環境問題その他についても一定のリスクは払うけど、一定のバカもやろうっていうね。そうやって生きていくしかない。偉い人はいるけれど、偉くなれない」とも言っている。
(『風の帰る場所』)
 僕は、そのどちらの気持ちも分かる気がする。

 今日はウナギの話。

 別に正義漢ぶりたいわけじゃない。僕自身はもう食べないけれど、それを人に強制するつもりもない。ちゃんとした専門店で時折食べるくらいは、別に良いんじゃないのとも思う。

 だけど…もう何年も前から絶滅危機が叫ばれていて、稚魚の「密輸」や「密漁」、「土用の丑の日に突出する消費」、「コンビニやスーパーなどでの大量消費/投棄」も問題視されているのに、どうして、深夜の生放送でなんの屈託もなく「ウナギ食べた~い!」なんて要求できるんだろう。
 
 そもそも問題となっていることを知らない、それとも知っていても大した問題じゃないと思っている、はたまた、深刻な事態だと分かっているけれど、そんなこと別にどうでも良いと思っている…まるで葛藤の感じられないセリフと表情からは、なにも伺い知ることはできなかった。

 たしかに、アイドルってなんでも笑顔で「肯定」するのがお仕事みたいなところはある。とくにSKEの場合、お膝元の名古屋の名物が「ひつまぶし」だし、専門店にロケに行ったり、差し入れにうな重があったりと、ウナギとは切っても切れない関係だからなおさらだろう。それは分かるのだけれど…。

 なんだろうな…そういう笑顔の肯定が、こういう判断の難しい問題に対して無邪気に差し向けられたときに…僕はアイドルというものそれ自体がひどく空虚な存在に感じられて、なんとも言えない虚しい気持ちになる。それが「推し」だったら、なおさら暗憺とした気分にもなる。

 もちろん、本当に責められるべきは密漁者や密輸業者であり、そこから仕入れている仲買人であり、グレーなことを分かっていながらも目をつむっている養鰻業者や小売店だろう。ただ、僕は、「推し」には尊敬できる人であって欲しいと思っている。たった一言、「大切に食べなきゃね」って、それだけで印象は変わるのに…。

 なんだろう…これも「押し付け」なのかな…

 色々な立場はあるだろうけれど、ニホンウナギとアメリカウナギが「絶滅危惧種」、ヨーロッパウナギが「近絶滅(絶滅寸前)種」に指定されているのは紛れもない事実だし、いま普通に食べられるといっても、かつてのリョコウバトのように、何十億という個体がいた種が乱獲によって何十年かであっという間に滅んでしまった例もある(もちろん、陸と海とで違いはあるにせよ)

 僕はね…。深夜にふと「あ…ウナギ食べたい」って思いついて、そこいらのコンビニで「絶滅危惧種」を買ってこられるような状況を良いことだとは思っていない。たしかにそうした状況を疑問視する声は増えてきたようにも思うけれど、今年は二回もあった「土用の丑の日」を中心に、いまもマスメディアは普通に消費を煽っている(ためしに「ウナギ」でニュース検索かけてみればいい)

 マスメディアはお金や政治で動かせる(部分もある)。業者や小売店はそのお金を持っている。そして、消費者はメディアに煽られればさらにお金を出して買いたいと思う。ただそれだけのこと。ウナギは自らを買うためのお金を持っていない。ウナギが痛みを感じるかどうか…みずからの危機を知っているかどうか…そもそもそんな判断力があるかどうか…僕には分からない。だって、彼らは声を上げることもできないから。

 人間の食生活や嗜好はそう簡単に変えられない。でも、それでも少しの痛みくらいは…そこにあって欲しい。さかなクンはNHK番組の解説で、こう言っていた。「何千キロも旅をして、5年も10年もかかって育つ魚なんです。ありがたく、感謝して食べたいですね」。

 同じ「食べたい」にしても、僕には、その言葉はとても尊いものだと思えた。



「ウナギが食べられなくなる日」

「土用の丑の日はいらない、ウナギ密輸の実態を暴く」

「ウナギ闇取引を摘発、親玉は「ウナギ漁の父」」

「高騰ウナギかば焼き「稚魚シラス」密輸横行!香港経由で台湾もの日本へ・・・1キロ200万円」

「ウナギ輸出、適切か調査 急増のアフリカ2カ国 4年で百倍、日本も消費」

「【4Pマンガ】『ニホンウナギの実情』が分かりやすい」