ゼロポジ公演ドキュメント雑感(分かりやすさ) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)


ゼロポジ公演ドキュメント雑感(分かりやすさ)

  大きな物語とそれを取り巻く小さな物語。下降傾向にあったSKEも、ようやく底を打ち、再び上昇気流に乗り始めている…という歴史観に異議はないし、こうして大きな物語を描いてみせることで、誰にも分かりやすくなる。むしろ、その間にあった数々の小さな物語こそが、 真に価値あるものだったとしてもね。

  立ち位置が変更されたのが伝わってなくて、間違えて覚えてきた深井ねがいちゃんの涙と、直前まで彼女に付き合う真木子の「小さな物語」は、このドキュメントにおける中心の光となっていた。「伝統」を守ろうとする先輩たちと、それを受け継がんとすべく奮闘する後輩たちという構図が明確にあった。

  (その構図と「革命」という言葉は、どう考えても噛み合ってなかったけれど)

  6期のプレゼンス(存在感)はほとんどなかったけれど、1→2→3→4→5と来て、6…と思いきや、なぜだかD1の物語に進んで「オイ!」となったドキュメンタリー映画とは異なり、不公平感も別になかった。それはこの構図/物語に乗らなかったんだと分かるから。それはまた、現在の彼女たちの立ち位置でもある。

  むろん、「構図」に当てはめてしまうことで見えなくなるものもある。今回はとくに、「未熟な8期生」という括り方をされていて、その「出来なさ具合」がピックアップされていた。けれど、よこにゃん(北川愛乃)とか、るーちゃん(井上瑠夏)とか、アンダーとして出ていても、ほとんどの正規メンより輝いているように思えるメンバーだっている。

  物語としてこういう作りにすることは理解できる。でも、ちゃんとやれている子の方が取り上げられない…ってのは、まあこういう世界の常なのかも知れない。インタビューされていたファンが、女性と(比較的)若い男性だけだったのも、恣意的な何かを感じた。

  ナレーションで語られる内容は、ぼくには大して意味があるように思えなかった。ドキュメンタリー映画が総花的でパンフレットみたいだったとすれば、このドキュメントの語り口は作文みたいだった。小学生の…とは言わないけれど。作文かあるいは、大学生のレポートか。

  最後のまさなブログも、あれは本当はまさな自身に語らせるべきだったと思う。あれはまさなが(まさなの声で)言うから説得力があるんで、他の誰が言っても同じ説得力は生まれない。ナレーションであれを入れたことで、まるでレポートに付け加えられた引用文(自分が言いたいことの補強に使われるもの)のような印象になっていた。

  分かりやすい構図に当てはめることで、文学的余白のようなものも失われていた。分かりやすくはなっても(その意図は分かるけれど)、なにか閉じられた…頭の中でこねくり回されたようなものの印象があった。ナレーションではなく、そこにあった素材そのもので十分に語らせることが出来たとぼくは思う。

  その意味では、えご天の悔し涙は良かった。あれは、「いままで苦しかったけれど、新たにスタートを切って、これからはみんなハッピー」みたいな単純なストーリーには乗らない複雑さをこのドキュメントにもたらしていた。

2.
  公演部分はまだちゃんとした形で見られていないからあれだけれど、「やっぱりゆななが強い…!」という印象だった。えご天が悔し涙を流してしまうのも分かるよ。それくらい、『意外にマンゴー』のゆななは強い。

  それはもちろん、あの曲がゆななのための曲だからってのもある。そして、だからこそ、ぼくはこの曲を評価する。これまで、(曲の良し悪しとは別に)「別に誰が歌っても同じじゃない?」みたいな曲が続いたSKE。

  でもこれは、明らかにゆななありきの曲だし、ゆなな以外だったら、誰がセンターでもああはいかない。少なくともセンターを狙いたいなら、「この曲はこの子にしか歌えない」という何かを持っているということが、とても大事なんだとぼくは思う。

  それはまた、この曲から明確なコンセプトが感じられるということにも繋がっている。「ゆななに歌わせるならこういう曲でしょ?」ってコンセプトが明確に感じられるんだ。コンセプトのはっきりしている曲は、誰にも分かりやすい。

  それは、欅がこの一年、ずっと示し続けたものでもある。

  ただ思うのは、この曲は決して欅には出来ないだろうってこと。欅の良さって、あのどこか陰鬱で統一感があって、そしてどうしようもなく鬱屈しているところだと思う。統一感があるのは同じだけれど、爽やかなSKEとはベクトルが違う。

  その違うベクトルを押し出しているこの曲の方向性が、ぼくには正しいと思える。