想像力(見上げてごらん…)
1.「ベントラーベントラー、スペースピープル」
昨日は握手会ののち、インスタライブをしたらしいおくまさん。
総選挙に向けて、ようやくエンジンがかかり始めたかな…というところで。まあ…ぼくは見られなかったんだけれどね。でもそは仕方のないことで…。
なんか…仕方のないことってあるよねって。SRだったら自動録画できるし、YouTubeにあげてくれる人もいる。でもそれはもう言っても仕方ない。SR録画も「出来ちゃう」だけで、もともとそういう仕様であるわけでもなし。あの子はやるべきことをやって、ぼくのタイミングが合わなかった。ただそれだけ。
そんなに会いたかったら、自ら会いに行けば良いだけの話。ましてや、昨日は横浜。行こうと思えば行けたわけで。会いに行きもしない、コメもしない、でも「こっちを見て」って…それって要は「あの星空のどこかに、あなたを応援している人がいる、だから見て」って、そんな風にただ願っているようなもんだよね。
ベントラーベントラー、スペースピープル…
そんなのさ、肉眼で見えるわけはなし、声が聞こえるわけでもなし。ただ想像するしかないような場所にいて、そこに「目を向けろ」って方がさ…そもそも無理筋なんで。あの子は「お宅訪問」って公約を掲げて、歩み寄ろうとしてくれているのに、自分はそのグラウンドに降りもしないで、それで「こっちを見てくれない」って、そりゃあ仕方ないよ。
本来、「現場」第一のSKE。ぼくがあの子に文句ばかり言ってるのも、そもそも、そこのところでボタンを掛け違えているからなのかなって。結局のところ、「SRをやれ」ってのも、「SRならここまで届くから」って、「そっち(現場)じゃなくて、こっち(在宅)を見て」って、そんなポジショントークに過ぎんのだろうし…。
そんなことをウダウダと考えていたら、江籠ちゃんが「応援のかたちは人それぞれ」みたいなことを書いてくれていた。あの子はほれ、「天使」だから…。きっといいことあるよ。
2.「ストロベリームーン」
人のすべてをデータ化できるとしたら、そのビット数はどれくらい? 唯一、意識だけはコピーできないとしても。
かつては文字、次には画像、そしていまや映像…ネットの発達により、データ化して「共有」できるものは、どんどんと増えていった。いくら「リアル」ったって、人の感覚器官も、しょせんは電気信号を介したデータ入力装置に過ぎない。いずれは触覚も嗅覚も、何もかもが共有されるようになる。あるいはすでに。
おぎゆかは…想像の次元であらゆるものを「共有」してみせる。いつだかの飴ちゃんもそうだし、昨日のSRでは、「充電が切れそう」というコメに対して、即座に「はい」って自分の充電器を画面に差し出してみせた。あの子はきっと天才だ。
もちろん、こんなのは、リアルの世界では何の意味もない。けれど、おぎゆかの頭の中にあるものと同じものを、ぼくらの頭の中にも生成できれば、それは想像の次元では「ある」ことになる。
星空のなか、オービターに乗って衛星軌道上を周り続けているぼくにも、それは届く。想像の次元なら、どこまででも、いくらでも届けることが出来る。リアルの飴を世界中の千人に配るのは一苦労だけれど、想像の次元なら、「はい」ってたった一言で済む。その力はきっと、この世界を変えていく。
「ストロベリームーン」が話題になった日、あの子は、「月って一個しかないんだよ。私ここから見える。あなたもそこから見えるでしょ」と熱く語っていた。とてもアホっぽかったけれど…「みんな同じ月を見ているんだよ。同じ空の下にいるんだ」と。
そんな当たり前のセリフ、くっさい決まり文句も、あの子が言うと、なにかとても不思議な響きを持って聞こえる。なんだろうな…あの力は…。その時、ぼくの目には映っていなかったけれど、でもたしかに「月」はそこにあった。同じ空の下で。
おぎゆかは凄いよ…あの子は本当に凄い。あの子は想像の次元で話をすることが出来る。その言葉は、行動は、衛星軌道上にいるぼくの胸にもダイレクトに響く。おどろくほど素直に突き刺さるんだ。
きっとね、ぼくにとって、くまは「異教」の…「地球教」のアイドルなんだ。世界中の誰よりも大切だけれど、でもそもそも自分に合わない教義を持った子を応援して、そうして「自分に合わない」って、そんな当たり前のことで煩悶している。それは、くまには何の罪もない。ただ単に、ぼくが宇宙人だっただけの話。
おぎゆかを見ていると、そのことに気付かされる。そして、心のどこかがギューッと痛くなる。