「推定少女とAKBと見せパン革命2」
注:この記事は独断と偏見で出来ています。
前回は推定少女が「援交文化」に対するカウンターとしての意味を持っていたという話でした。
実際のところ、「ガングロ」もまた、カウンターの文脈で捉えることが出来るでしょうが、推定少女と決定的に異なるのは、ガングロは性的に見られることを拒絶し、ゆえに援交オヤジたちの欲情の対象ではあり得なかったということです。
推定少女は逆なんですよね。性的に見られることを拒絶するのではなく、むしろ開け広げにしてしまうことで、パンツだの何だのに特別な意味があるという価値観そのものを破壊してしまったんです。ゆえに、「援交文化」にとって真に攻撃的だったのはこちらの方でした。
とは言え、多くの人にとって、推定少女はまだTVの中の存在でした。「生」であることに価値を見い出そうとする勢力にとって、その存在はまだ決定的なものにはなり得なかったでしょう。
推定少女が解散する約半年前。ひとつの地下アイドルグループが秋元康のプロデュースでデビューしました。まあ、言うまでもありませんよね。制服姿で踊るAKBはまぎれもなく、推定少女の文脈上にありました。
初期のAKBが「援交文化」を意識していたことは、『軽蔑していた愛情』や『涙売りの少女』『命の使い道』といった楽曲の歌詞からも明らかです(よく指摘されることですが、のちのAKB楽曲の多くが「僕」視点であるのに対して、初期のAKBは少女視点なんですよね)
しかしながら、そうした歌詞とは裏腹に、AKBは(推定少女と同様に)むしろ「援交文化」を無効化していく意味を持っていました。非常に誤解を招く言い方をします。千円でパンツを見ることの出来る「生」の空間が劇場に生まれたのです。
「見せパン」って言葉がありますが、「見せても大丈夫なパンツ」という言葉それ自体の内に、見られることが想定されています。AKBほど「見せパン」という言葉を広めたグループは他にはないでしょう。『スカート、ひらり』における「見せパン」ダンスなどは、もはやひとつの様式と言っても良いくらいです。
AKBは「下品」だと云われます。たしかにそうでしょう。でも、パンツを見せるというその「下品さ」は、一方ではPTAに代表されるようなお堅い世界に対する攻撃であると同時に、表面だけは偉そうな顔をして、その裏では人に知られたくないようなことをしている「ひひじじい」に対する攻撃でもあったのです。
名誉も地位も金も持っているおっさんに対して一対一でこっそりと薄暗い空間で見せていたものが、たとえ大金をもっていなくとも大勢いる観客に対してみんなであっけらかんとスポットライトの中で見せるものへと変わった。それはまさしく革命でした。
制服にこびりついていた陰気な視線は、レッスン場での汗と劇場でのスポットライトの中で浄化されていき、「見せパン」はダンス芸術(という言葉はぼくは嫌いですが…)の一部へと昇華されます。それはもはや、なんら影のあるものではなくなりました。
メディアに頼らないアイドルAKB48の登場以降、アイドルへの道は大きく開かれることになります。地下アイドルの数は膨大なものとなり、それはちょっと容姿に自信があってちょびっとお金を稼ぎたい女の子にとって援交/ブルセラに代わる現実的なオルタナティブとなりました。
(実際にかつてブルセラ疑惑が持ち上がった子がいたようないなかったような…(-_-;))
それはまた同時に、「消費者」にとっては、「生」であることの価値に価格破壊を起こすものでもありました。気が向いたときに「現場」に向かえば、さしてお金も必要とせずに「生」で見られるものへとなったのです。
これらはむろん、ぼくが勝手に言っていることですが…AKBの成功とそれに伴う地下アイドルの隆盛とともに、「援交文化」が時代の表面から姿を消していった…ということは、おそらく…たぶん…いや、ちょびっとだけは…確かです(本当か?)。ブルジョワが「援助」する時代は終わり、民衆が「推す」時代が始まりました。
(言うまでもないことですが、AKBや地下アイドルは単に「援交文化」に対するカウンターとしての意味だけをもっているわけではありません。あくまでもそういう切り口があり得る…というだけの話です)
AKBはその後、総選挙によって、それまで少数の特権階級によって選ばれていたアイドルを、民衆が押し上げるものへと変えました。選抜の権利を、限られた上層部が密室で選ぶものから、たとえお金はなくとも大勢いるファンのものへと変えたんです。
それはまた、「見せちゃう」って意味を持っていました。選抜のプロセスそのものを「見せちゃう」ことでコンテンツ化したんですね。「見せちゃう」こと=可視化することで、特権階級から解放する。それもまた、「見せパン」精神の延長線上にあるものではないでしょうか。
この「見せちゃう」という精神は、アイドルの裏側を「見せちゃう」ドキュメンタリーなどによって、常にAKBの原動力であり続けました。
スキャンダルをスルーしたり、裏で特権階級に媚びを売ったり、あるいは明確な基準もないまま「推され」を決めたりすることは、単に印象が悪いってだけじゃなくて、そうした精神に背くものでもあるからこそ、余計にファンの反感を買うところもあるのかも知れません。
閑話休題。いずれにせよ、AKBはキングレコード移籍後の初シングル『大声ダイヤモンド』を境として「援交文化」の軛から逃れ、そのため国民的アイドルなるものになりおおせます。当時11歳の珠理奈を起用したことの意義は、そうした点からも見出すことが出来るでしょう。もはや、そうしたものの影を引きずらない世代が登場してきたんですね。
いまや、AKBにその影を見出すことはほとんど困難ですし、「見せパン」も単なるスタイルでしかありません。でもね、それは決して「釣る」ためのものではありませんでした。そういう生き残り方があることは否定しませんけれどね〜…(-。-)y-゜゜゜
あれは革命だったのです。