アシガールと高台家の人々
1.
『アシガール』って…バカっすよね←
黒羽城の描写とか、あれなんやねんと。1559年にあんな天守閣ねーよと。弟が自宅でタイムマシン作っちゃうとか、『キテレツ大百科』かと。歴史改変なんてしたら、タイムパラドックスとか色々大変なんじゃないのと。主人公はイケメンの王子様にコロッといっちゃうし。もう…白雪姫か!
ただ…なんだろうな…そのバカさ。色んな問題があるだろうけど、「そんなことは知らん!」 ってエネルギーが良いんです。
今の時代、なにかひとつ描こうとするにも、色々と障壁があるわけで。「歴史物描きたければ歴史考証しなきゃお話になりません」とか、「科学万能主義はどうなの」とか、「容姿で差別するの良くないよね」とか、「結局、地位と金かよ!」とか…。
でも、『アシガール』は、「そんなん関係ねえ!」とばかりに突っ走ります。とにかく「好き」に対して忠実でそれが清々しいなあと。それがまた、「足軽」って主題とマッチしてるように思います。
徹底的に時代考証にこだわった『この世界の片隅に』とかディテール描写に命をかけているような『乙嫁語り』とはある意味では正反対のマンガですが、ぼくはこういうのも好きです。
『デカワンコ』や『ごくせん』は実写から入った口ですが、やはり好きですし、森本梢子さんかなり好きかも。
2.
同じ森本さんの『高台家の人々』は、とにかく木絵ちゃんがキュートですし、その妄想がぶっ飛んでて面白い(≧∀≦)ノ
一方、映画版は…なんですかありゃ。原作はもっと優しい話だし、明るい話でしょう。木絵ちゃんの良いところって、辛いことがあっても妄想で明るく乗り越えちゃうところなのに、なんだか妙に陰気な話になっていて。綾瀬さんも木絵ちゃんって感じじゃないしな…(ぼくが選ぶんだったら上野樹里さんかな)。
なにより違和感を覚えたのは、旧華族の高台家に嫁入りしようとする木絵ちゃんが、お義母さんとなる由布子の課そうとする試練にロクに挑戦もせんと、心が折れてしまうこと。で、斎藤工演じる光正が「木絵は木絵のままで良いんだ」みたいな( ;¬_¬)
な~んか、それって…どうなの。本当に好きなら、出来るか出来ないかはともかく、少なくとも挑戦するでしょうし、原作は実際にそうなってますよね。それはまた、愛する相手の背負ってきた世界を尊重するというかな…そういう意味もあると思うんです。
だのに、ロクに挑戦もせんと心が折れて、「ありのままで良いんだよ」みたいな解決にしてしまう。
そんな覚悟で名家の御曹司を好きになったのって。それじゃあそもそも、相手を御曹司の設定にする必要なくないですか? だってこれだと、自分は何も変わらず努力もせず、ただ相手のステータスと資産だけを手に入れたいみたいな話になってません? それって薄っぺらくないですか?
『ごくせん』のヤンクミにしろ、『アシガール』の唯にしろ、むしろ逆に男を守っちゃうくらいの勢いなのに、なんかこれだと「全てを受け入れてくれる優しい王子様にキュン♡」みたいな…それって、これまで描かれてきた森本的女性(主人公)像と相容れなくないですか?
なんかね…こういう、「ありのままで良いんだ」みたいな現代的思想って、別に否定をするつもりはないですが、気付かぬうちに根を張っている病巣みたいだなって。それが無防備に使われると…たとえば努力を放棄するための方便に使われると、とてつもなくくだらなく思えます。
しかも、こういう解決にしたことで、由布子がただのイヤな奴みたいに見えてしまう(最後はフォローしてる感じにしてましたけど)。妄想を糧に健気に頑張る木絵の姿に、由布子が次第にほだされていって、最終的にツンデレみたいになっちゃうのが原作の面白さなのに…。なにを考えてこういう脚本にしたんですか…。
脚本家の無意識(あるいは意識的なのかもですが)がここに入り込んでいると僕は思うんですよね。つまり、ドラマには乗り越えるべき障壁、あるいはコンフリクト(衝突/葛藤)がなきゃいけないっていう。そういう教科書的な脚本メソッドが頭に刷り込まれているのではないのかと。
乗り越えるべき障壁として描かれているから、由布子がイヤな奴みたいに見えちゃうわけですし、それが障壁であることを示すために、木絵が一回は心を折られなきゃいけないわけですよね。
でも、そうしたことによって、肝心の原作のエッセンスが失われてしまった…。ここまで書いてきたこともそうですし、『アシガール』にも現れていた、「障壁なんて関係ねえ!」とばかりに突っ走るあの森本節も失われてしまった。
森本作品においては、障壁は、ぶち当たって、立ち止まって、「よいせっ」と乗り越えるものじゃなくて、突っ走ってぶち破るもんだと思うんです。で、「あれ? そんなのあったの?」みたいな。その軽さと明るさが良いわけで。
この映画ではそれが影を潜めています。脚本メソッドも、こういう風に使われるとただの害悪だなあって。それによって、これまでどれだけの原作物がぶっ壊されてきたんでしょう。正直、ぼくらもう、あの作りに飽き飽きしてませんか?